俳句

菊后亭秋色

きくごていしゅうしき

元禄の四俳女のひとり

寛文9年(1669年)~享保10年4月19日(1725年5月30日)。江戸日本橋(東京都中央区)に生れる。本名は小川秋。俳号は秋色女(しゅうしきじょ)および菊后亭秋色(きくごていしゅうしき)。元禄年間に創業した和菓子屋「大坂屋(秋色庵大坂家)」が実家。9歳で宝井其角に師事。師の放蕩のため、その台所をあずかっていたと言われる。師の没後もその点印を用い、晩年に深川湖十に伝与した。
正岡子規は、「獺祭書屋俳話」の中で、捨女・智月・園女に並ぶ「元禄の四俳女」として、「撫し子の如し」と表現している。

講談「秋色桜」の主人公としても描かれている。十三歳の時、上野の山で危険防止に詠んで書き置いた「井戸端の桜あぶなし酒の酔」が、宮様の目にとまり、貧しい菓子屋の実家がやがて裕福になっていくという孝行話。現在でも9代目の「秋色桜」が、上野公園の清水寺観音堂にある。
辞世は「見し夢のさめても色の杜若」。

▶ 秋色の俳句

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