山口素堂

やまぐちそどう

「目には青葉山ほととぎす初鰹」で知られる俳人・山口素堂

寛永19年5月5日(1642年6月1日)~享保元年8月15日(1716年9月30日)。甲斐国巨摩郡上教来石村(北杜市)出身。本名は信章、幼名は重五郎、通称は勘兵衛。俳諧連歌を北村季吟に、漢学を林鵞峰に、章句を林春斎に、和歌を清水家に、書を持明院家に学んだ。
妻は娶らず隠士として余生を送り(異説あり)、門弟はとらず、高尚な人物評がある。50歳を過ぎて指揮した治水工事に功があったとして、郷土では知られる人物でもある。

蓮池翁とも呼ばれるが、これは、深川に蓮池がある別荘を持っていたことに因る。晋の恵遠法師に倣い、蓮社の交わりを持ち、「社中」と称す交流を行う。以後、俳家の社中は流行となる。
松尾芭蕉とは延宝3年(1675年)に初めて会い、以後友人としての親交があり、芭蕉の俳諧に大きな影響を与えた。芭蕉追善句として、「哀れさやしくるゝ頃の山家集」がある。
貞享2年(1685年)頃には葛飾に移住し、俳諧の一流派である「葛飾風」を起こした。有名な句に「目には青葉山ほととぎす初鰹」がある。
辞世は「初夢や通天のうきはし地主の花」。墓所は谷中の感応寺。

▶ 山口素堂の俳句
▶ 山口素堂の句碑


 山口素堂の年譜(8月15日 素堂忌)
1642年 寛永19年 5月5日、甲府魚町で酒造業を営む家庭に生まれる。
1662年? 寛文2年? 家業を弟に譲り、江戸に出て林鵞峰に漢学を学ぶ。
1674年 延宝2年 京都に遊び、北村季吟と会吟。和歌や書道なども学ぶ。
1675年 延宝3年 西山宗因・桃青(松尾芭蕉)らと百韻興行。はじめて芭蕉に会い、以降、友人として親しく交流。
1679年 延宝7年 官職を辞して不忍池畔に隠居。
1680年 延宝8年 はじめて素堂の号を用いる。
1682年 天和2年 前年に焼失した芭蕉庵を再建するために奔走。
1696年 元禄9年 甲府代官の依頼により、山口堤と呼ばれる堤防を築いた。
1698年 元禄11年 上京して芭蕉を偲ぶ。
1711年 正徳元年 「とくとくの句合」成立。
1716年 享保元年 8月15日死去。