木がらしの身は竹斎に似たるかな

こがらしの みはちくさいに にたるかな

「野ざらし紀行」の要所と「冬の日」の冒頭に置かれた芭蕉句

木枯の身は竹斎に似たる哉「野ざらし紀行」(1685年)には、「名護屋に入道の程風吟ス」の詞書で「狂句木枯の身は竹斎に似たる哉」とある。「野ざらし紀行」を読むと、この句を境に、西行のような超俗的なものを追いかけるのをやめたような印象が広がる。
貞享元年10月(1684年11月)に名古屋で詠まれたものであり、この時に芭蕉に入門し、名古屋蕉門の中心人物となった山本荷兮が編集した俳諧七部集の第一集「冬の日」(1685年)の冒頭にも置かれた句でもある。
「冬の日」には、「笠は長途の雨にほころび、帋子はとまりとまりのあらしにもめたり。侘びつくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂歌の才士、此国にたどりし事を、不図おもひ出て申し侍る。」の詞書がある。
「三冊子」(服部土芳1702年)に、「木枯、初は狂句木がらしのと余して云へり」とあり、「木がらしの身は竹斎に似たるかな」で載る。

「竹斎」とは、仮名草子「竹斎」の主人公で藪医者のことで、貧乏暮らしの中各地を転々とするが、名古屋での活躍も描かれ、処々で狂歌が歌われる。芭蕉は自らを竹斎に擬え、「木がらしに吹かれながら旅する身は、竹斎のようだ」と詠んだ。季節は「木がらし」で冬。

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