うらやまし おもいきるとき ねこのこい
芭蕉への懺悔の気持ちがこもった越智越人の代表句
「猿蓑」(向井去来・野沢凡兆編1691年)所収の越智越人の句。去来抄には、芭蕉の評価が高かった句として取り上げられている。季節(季語)は「猫の恋」で春。
藤原定家の「うらやまし忍びもやらでのら猫の 妻恋ひさけぶ春の夕暮れ」を踏まえた句。元禄4年(1691年)2月22日付の珍夕宛芭蕉書簡に、「思ひきる時うらやまし猫の恋」とあり、初案はこちらであったと伺える。
この句を要約すれば、「恋猫のように思いに任せて生きてみたいな…」というような意味になる。かつて越智越人は、熊本の細川越中守に仕えていたが、吉原の遊女を身請しようとして改易となった。
「俳家奇人談」(竹内玄玄一著1816年)には、この句にまつわる話が載っている。それによると、芭蕉と連れ立って行脚する話があったが、若い女性が出入りしていたために芭蕉の足が遠のいてしまったという。その時に、後悔の念で詠まれたのが「うらやましおもひ切時猫の恋」だったという。
そうであれば、「猫の恋」は自らの恋心を指したものではなく、「女性に思われる自分」ということになるだろう。そうするとこの句の意味は、「猫のように、思いを寄せられても、その思いを断ち切って生きていられればいいのに…」といった感じになろうか。
元禄4年3月9日付の去来宛芭蕉書簡には、下記のようにある。
越人猫之句、驚入候。初而彼が秀作承候。心ざし有ものは終に風雅の口に不出といふ事なしとぞ被存候。姿は聊ひがみたる所も候へ共、心は高遠にして無窮之境遊しめ、堅愚之人共にをしへたるものなるべし。孔孟老荘之いましめ、且佛祖すら難忍所、常人は是をしらずして俳諧をいやしき事におもふべしと、口惜候。
句評「うらやましおもひ切時猫の恋」
向井去来「去来抄」170?年
先師、伊賀より此句を書贈て曰、心に俗情あるもの、一たび口に不出といふ事なし、かれが風雅是に至りて本情をあらはせりとなり。是より先に越人名四方に高く、人のもてはやす発句多し、しかれども爰に至りてはじめて本性を顕すとなり。