中村草田男(なかむらくさたお)

人間探求派の雄・中村草田男

降る雪や明治は遠くなりにけり

昭和6年(1931年)、雪の日に母校・青南小学校を訪問した際に詠んだ。同年ホトトギス3月号初出。昭和11年の句集「長子」収録。

▶ 中村草田男の俳句

 中村草田男年譜(8月5日 草田男忌)
1901年 明治34年 7月24日、中国アモイに生まれる。(*1)
1904年 明治37年 母とともに本籍地・愛媛県伊予郡松前町に帰国。
1916年 大正5年 松山中学在籍時、伊丹万作らとともに回覧同人誌「楽天」を制作。
1925年 大正14年 一家で東京に移転し、4月に東京帝国大学文学部独文科に入学。
1929年 昭和4年 高浜虚子に会う。東大俳句会に入会。
1933年 昭和8年 東京帝国大学卒業。卒論は「子規の俳句観」。卒業後、成蹊学園教師。
1934年 昭和9年 ホトトギス同人。
1939年 昭和14年 学生俳句連盟機関誌「成層圏」を指導。「俳句研究」8月号座談会への出席をきっかけに、石田波郷、加藤楸邨らとともに人間探求派と呼ばれる。
1946年 昭和21年 「成層圏」を母体として「萬緑」創刊。終生主宰。
1960年 昭和35年 現代俳句協会幹事長。
1961年 昭和36年 現代俳句協会内で意見対立が起こり、俳人協会を設立。初代会長に就任。
1972年 昭和47年 紫綬褒章。
1974年 昭和49年 勲三等瑞宝章。
1983年 昭和58年 8月5日、急性肺炎のため東京都世田谷区北烏山の病院で死去。82歳。死の前日に洗礼名「ヨハネ・マリア・ヴィアンネ・中村清一郎」。東京都あきる野市五日市霊園に眠る。
*1 清国福建省廈門にて清国領事中村修の長男として生まれる。本名清一郎(せいいちろう)。