猫の俳句と猫の季語

季語と語源を知って猫の俳句を詠もう

≪猫の俳句と季語 目次≫
竈猫 ◆猫の恋 ◆猫の子  季語になった猫たち 
うらやましおもひ切時猫の恋  芭蕉との和解を実現した弟子による言い訳の句
猫の恋止むとき閨の朧月  色恋には距離を置いていたはずの俳聖の恋の句
声たてぬ時が別れぞ猫の恋  絶世の美女が猫に託した三行半
春雨や猫に踊りを教える子  おかしさの中に広がる一茶の悲しみ
ねこに来る賀状や猫のくすしより  「吾輩は猫である」の登場人物が猫
何もかも知つてをるなり竈猫  ふたむかし前の猫の姿を詠んだ俳句
恋猫の恋する猫で押し通す  ひとむかし前の猫の姿を詠んだ俳句
薄目あけ人嫌ひなり炬燵猫  現代の猫の姿を詠んだ俳句

籐椅子に猫が待つなる吾家かな  久保より江

猫の俳句と季語
猫はよく眠ることから、その語源は「寝子」にあるのだと言われている。918年に編纂された本草和名には、「家狸 一名猫 和名禰古末(ねこま)」とあり、「寝高麗」として、伝来経路を盛り込んだとの説もある。

徳島にある王子神社は猫神様と呼ばれているが、その由来は根子神にあるという。根子は、根付いた者の意で、土着神のことを指す。「犬は人に付き、猫は家に付く」の言葉もある。

三冬の猫の季語|竈猫

猫の俳句と季語
竈猫とはつまるところ、「猫灰だらけ」のこと。「へつつひ猫」もまた竈猫である。最近では家猫の暮らしぶりも良くなって、竈猫は絶滅危惧種である。代わりに炬燵猫は増加中で、さらにモダンな猫は、冬場でも暖房の効いた部屋で喜々としている。かじけ猫とうしろ指差された、苦手な季節は昔のこと。いつまで冬の季語に留まっていられるのだろうか…

⇒ 竈猫とは

【関連季語と俳句】 竈猫かじけ猫炬燵猫へつつひ猫

仲春の猫の季語|猫の恋

猫の俳句と季語
感情の変化が激しい猫が、最も猫らしいのは春。冬の寒さに震えていた猫が、突然恋に目覚め、悪声を夜の町に轟かす。ちまたでは「シャー」とやり合って、眠っていた野性が目を覚ます。
しかし飼い猫を見ると、近所の争いごとにも知らん顔。窓に野良猫が顔を出しても、相変わらず腹を上に向けて眠っている。コイツは季語にはなれないな…

⇒ 猫の恋とは

【関連季語と俳句】 猫の恋恋猫うかれ猫孕猫猫の妻春の猫

晩春の猫の季語|猫の子

猫の俳句と季語
仔猫は、「猫可愛がり」されて親猫になる。しかしそれは、人には想像もできないハードワーク。人間の手にある猫じゃらしに反応してやらなければならない。一日じゅう飛び跳ねて、疲れて時には寝落ちする。そうして育った暁には、「猫かぶり」という技も身につける。
猫は賢い。仔猫の時代に頑張って、猫は、鰹節と小判の違いを理解するのだ。

⇒ 猫の子とは

【関連季語と俳句】 猫の子子猫猫の産親猫



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猫の有名俳句|うらやましおもひ切時猫の恋

猫の俳句と季語「猿蓑」(1691年)所収の越智越人で、去来抄には、師である松尾芭蕉の評価が高かった句として取り上げられている。藤原定家の「うらやまし忍びもやらでのら猫の 妻恋ひさけぶ春の夕暮れ」を踏まえた句。「恋猫のように思いに任せて生きてみたいな…」というような思いが込められており、柵に縛られていた身の上を詠みあげている。この句によって、疎遠になっていた芭蕉を振り向かせている。季語は「猫の恋」。

猫の有名俳句|猫の恋止むとき閨の朧月

猫の俳句と季語1692年、俳聖松尾芭蕉49歳の時の、「猫の恋」の句である。閨とは寝室のことで、一般的には「恋猫の声が止んで、ぼんやりとした静寂の中に人恋しさを覚える」というような意味で解釈される。
けれども、源氏物語の「朧月夜」に取材したもので、芭蕉には珍しい艶やかな句である。激しい情事とそのあとの気怠さを対比させ、芭蕉らしい無常観を表現したものと考えた方が適切だろう。

猫の有名俳句|声たてぬ時が別れぞ猫の恋

猫の俳句と季語「千代尼句集」(1764年)所収の加賀千代女の句。絶世の美女として有名だった千代女の恋の句である。激しさを象徴するような「猫の恋」であるが、その対面にある静けさを見せつけられたなら、男は黙って退散するしかない…
朝顔につるべとられてもらい水」「蜻蛉釣り今日は何処まで行ったやら」など、出所の分からない有名句で伝説となった千代女であるが、ここに確かな足跡がある。

猫の有名俳句|春雨や猫に踊りを教える子

猫の俳句と季語「八番日記」の文政3年(1820年)にある小林一茶の句である。動物句が多い一茶であるが、特に猫は目立ち、生涯300句以上の猫の句を詠んでいる。その中でも特に有名なのが掲句であり、雨にも、猫じゃらしで退屈しのぎをして喜々としている子供の表情が目に浮かぶ。どことなく心躍る春の景色である。ただ、一茶は前年に最愛の娘を失っており、淋しさを心の内に秘めて詠んだ句でもあるのだろう。

猫の有名俳句|ねこに来る賀状や猫のくすしより

猫の俳句と季語夏目漱石の「吾輩は猫である」の雪江のモデルにもなった久保より江は、大正期の代表的女流俳人であるとともに、数多くの猫の俳句を詠み、猫の俳人としても知られている。この俳句の季語は「賀状」で、新春の俳句である。猫の秀句に、「猫の子の名なしがさきにもらはれし」「泣き虫の子猫を親にもどしけり」「ねこの眼に海の色ある小春かな」などがある。掲句は、猫の医者から猫に年賀状が来たという可笑しさを詠みあげている。

猫の有名俳句|何もかも知つてをるなり竈猫

猫の俳句と季語「十三夜」所収の富安風生の俳句。1934年に詠まれたこの猫の俳句によって、「竈猫」という季語が生まれたと言われている。
人の命を司る竈に居ついた灰かぶり猫は、ネズミを捕らえるという重要な仕事を与えられつつ、主人の人生を監視しているのである。この時代にはまだ、猫にも神々しさが残っている。現代の猫のように、人に対して甘えた声を出すことはないだろう。

猫の有名俳句|恋猫の恋する猫で押し通す

猫の俳句と季語禅的思想に基づいて俳句を詠んだ永田耕衣の有名な猫の俳句。季語は「恋猫」。「驢鳴集」(1953年)所収。落伍者を見るかのような、可笑しさにあふれた響きがある。けれども、「恋する猫」を押し通すのであるから、目的を達成できずとも、ここには求道心を保ち続ける強さがある。この俳句はいうなれば、「武士は食わねど高楊枝」である。この猫は決して、「猫に鰹節」のような浅はかな生き方は選ばないのである。

猫の有名俳句|薄目あけ人嫌ひなり炬燵猫

猫の俳句と季語「火明」(1957年)所収の松本たかしの炬燵猫の俳句。風生の「竈猫」よりも、モダンで優雅な時間の中に身を置いている猫だと言えようが、そんな生活は、干渉への恐怖を植え付けてしまう。もう、他者に身を任せなければ生きてはいけないのだが、何もかも知つてをる猫は恐らく、「どうしてこんなにしてくれた…」と不満顔…。生活の向上とともに野性は奪われ、悲哀が漂う社会が映る俳句である。

猫を探して俳句旅|猫の細道(広島県尾道市)

猫の俳句尾道は、映画をはじめとする多くの文芸作品に登場する有名な坂の街。その尾道には、「奥の細道」ならぬ「猫の細道」がある。名物のロープウェイ下からの小径で、天寧寺三重塔にかけての坂道。狭い路地に猫の置物があり、それに絡みつくように猫が闊歩する。また、近くには「招き猫美術館」や、警備員と猫の攻防で有名になった「尾道市立美術館」もある。猫の俳句が自ずと浮かび上がる町である。

尾道の坂知り尽し恋の猫

尾熊靖子氏(第13回おのみち俳句まつり入選作)
⇒ 尾道観光協会


(猫の画像)フリー写真素材ぱくたそ