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子規以降の俳句の歴史
1895年 |
明治28年 |
子規が新聞日本紙上に「俳諧大要」発表。道灌山事件。 |
1897年 |
明治30年 |
柳原極堂が俳句雑誌「ほとゝぎす」創刊。 |
1903年 |
明治36年 |
碧梧桐と虚子との間に「温泉百句論争」。 |
1911年 |
明治44年 |
荻原井泉水が自由律俳誌「層雲」創刊。 |
1915年 |
大正4年 |
海紅堂事件。 |
1918年 |
大正7年 |
佐々木綾華らが「破魔弓(のちの馬酔木)」創刊。 |
1929年 |
昭和4年 |
阿波野青畝が「かつらぎ」創刊。山口青邨の講演で、山口誓子、阿波野青畝、高野素十、水原秋桜子の「ホトトギスの4S」が誕生。 |
1931年 |
昭和6年 |
水原秋桜子が「馬酔木」1931年10月号に「自然の真と文芸上の真」を発表し、反ホトトギスを旗印とした新興俳句運動の流れの起点となる。 |
1935年 |
昭和10年 |
1934年に日野草城が発表した「ミヤコホテル」から、ミヤコホテル論争起こる。 |
1939年 |
昭和14年 |
「俳句研究」8月号座談会への出席をきっかけに、石田波郷、中村草田男、加藤楸邨が人間探求派と呼ばれる。 |
1940年 |
昭和15年 |
新興俳句弾圧事件(~1943年)。京大俳句事件を契機とする。 |
1946年 |
昭和21年 |
桑原武夫が「世界」1946年11月号に「第二芸術―現代俳句について」を発表。 |
1947年 |
昭和22年 |
第二芸術への反論として「現代俳句の為に(孝橋謙二編)」刊行。9月、石田波郷を中心として現代俳句協会を設立。「草田男の犬論争」発生。 |
1948年 |
昭和23年 |
山口誓子が「天狼」創刊号で「根源俳句」を提唱。現代俳句協会が茅舎賞(現代俳句協会賞)を創設。 |
1950年 |
昭和25年 |
境涯俳句の金字塔「惜命」(石田波郷)が発表されるが、同時に「霜の墓論争」起こる。 |
1952年 |
昭和27年 |
角川「俳句」創刊。 |
1953年 |
昭和28年 |
「俳句と社会性の吟味」(大野林火)で社会性俳句論議が始まる。 |
1957年 |
昭和32年 |
「俳句の造型について」(金子兜太)により造型論発展。 |
1961年 |
昭和36年 |
第9回現代俳句協会賞選考紛糾を起因として、現代俳句協会から伝統派が脱退し、中村草田男を会長として俳人協会設立。 |
1967年 |
昭和42年 |
角川書店が「蛇笏賞」を創設。 |
1987年 |
昭和62年 |
稲畑汀子を会長として日本伝統俳句協会設立。 |
1989年 |
平成元年 |
「おーいお茶俳句大賞」スタート。現代俳句協会・俳人協会・伝統俳句協会が協力して、国際俳句交流協会設立。 |
1998年 |
平成10年 |
第1回俳句甲子園。 |