とみやすふうせい
竈猫を生んだホトトギスの富安風生
1885年(明治18年)4月16日~1979年(昭和54年)2月22日。愛知県八名郡金沢村(豊川市)出身。34歳で逓信省福岡為替貯金支局長として福岡に赴任した時に、吉岡禅寺洞に出会って俳句をはじめる。高浜虚子に師事。俳誌「若葉」主宰。もとは逓信省内の俳句雑誌だった。「馬酔木」「ホトトギス」同人。冬の季語「竈猫」は風生の造語で、「何もかも知つてをるなり竈猫」から来ている。
数え年九十五歳で死去。岸風三楼が、辞世として「九十五齢とは後生極楽春の風」を選んでいる。
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1885年 | 明治18年 | 4月16日、愛知県八名郡金沢村(愛知県豊川市)に生まれる。(*1) |
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1911年 | 明治44年 | 東京帝国大学法科大学卒業後、逓信省に入る。 |
1912年 | 明治45年 | 喀血して療養。 |
1914年 | 大正3年 | 病が回復せず、官を辞して帰郷。 |
1916年 | 大正5年 | 逓信省に復帰。 |
1918年 | 大正7年 | 福岡為替貯金支局長となり、福岡の高崎烏城らの誘いで俳句を始め、吉岡禅寺洞に師事。 |
1919年 | 大正8年 | 福岡に巡遊してきた高浜虚子に会い、「ホトトギス」に投句しはじめる。 |
1922年 | 大正11年 | 東大俳句会の結成に関与する。 |
1928年 | 昭和3年 | 「若葉」雑詠の選者となる。「馬酔木」同人。 |
1929年 | 昭和4年 | 「ホトトギス」同人。 |
1930年 | 昭和5年 | 「ホトトギス」課題句選者となる。 |
1933年 | 昭和8年 | 第1句集「草の花」刊行。 |
1936年 | 昭和11年 | 逓信次官となる。 |
1937年 | 昭和12年 | 逓信省を退く。 |
1942年 | 昭和17年 | 日本文学報国会俳句部幹事長に就任。 |
1950年 | 昭和25年 | 電波監理委員会委員長に就任(~1952年)。 |
1971年 | 昭和46年 | 日本芸術院賞を受賞し、日本芸術院会員となる。 |
1979年 | 昭和54年 | 2月22日、動脈硬化と肺炎により死去。94歳。 |
*1 | 本名は謙次。 |
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富安風生関連施設
▶ 俳句の館 風生庵
富安風生が避暑地として訪れていた、山梨県南都留郡山中湖村にある。「文学の森公園」内に富安風生の部屋の一部を改築して、書斎を再現。富安風生の関連資料を展示している。