俳句

竹下しづの女(たけしたしづのじょ)

「すてつちまをか」で知られる大正期を代表する女流俳人

1887年3月19日~1951年8月3日。福岡県京都郡稗田村(行橋市)出身。高浜虚子吉岡禅寺洞に師事。「ホトトギス」同人。俳句連盟雑誌「成層圏」を中村草田男とともに指導。金子兜太らを育てる。

良く知られた俳句に「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)」。竹下しづの女の俳句は、女性への俳句普及のために虚子が取り上げた「台所俳句」とは対極にある、骨太さが特徴とも言われる。

▶ 竹下しづの女の俳句



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 竹下しづの女の年譜(8月3日 しづの女忌)
1887年 明治20年 3月19日に福岡県京都郡稗田村に生まれる。(*1)
1906年 明治39年 福岡女子師範学校を卒業し、小学校教員となる。
1911年 明治44年 小倉師範学校助教諭となる。音楽国語担当。
1912年 大正元年 福岡農学校教諭の水口伴蔵と結婚
1913年 大正2年 長女誕生。
1914年 大正3年 長男誕生。(*2)
1917年 大正6年 次女誕生。
1919年 大正8年 次男誕生。句作を始め、吉岡禅寺洞に師事。
1920年 大正9年 ホトトギスに投稿し「短夜や乳ぜりなく児を須可捨焉乎」が8月巻頭句となった。
1934年 大正10年 三女誕生。
1928年 昭和3年 高浜虚子に会いホトトギス同人となる。
1933年 昭和8年 夫が急死。福岡県立図書館司書となる。
1937年 昭和12年 高等学校俳句連盟(学生俳句連盟)の結成にあたり、機関誌「成層圏」を創刊し指導する。
1939年 昭和14年 腎臓炎が慢性化し、図書館司書を辞職。
1940年 昭和15年 唯一の句集「颯(はやて)」刊行。
1945年 昭和20年 前年より結核で入院していた長男が死去。
1949年 昭和24年 この年より晩年まで九大俳句会の指導を行う。
1951年 昭和26年 1月に母死去。8月3日、賢臓病で逝去。64歳。
*1 本名は竹下静栖(しずの)。
*2 俳人の竹下龍骨。