俳句

田捨女

でんすてじょ

元禄の四俳女のひとり

寛永11年(1634年)~元禄11年8月10日(1698年9月13日)。丹波国氷上郡柏原藩(兵庫県丹波市)出身。柏原藩の庄屋で代官も務めた田季繁の娘として生まれた。本名は田ステ。北村季吟に師事し、和歌をよくした。俳諧は、宮川松堅に学んだとも言われる。
正岡子規は、「獺祭書屋俳話」の中で、園女・智月・秋色と並ぶ「元禄の四俳女」として、「燕子花の如し」と表現し、「うつくしき中にも多少の勢ありて、りんと力を入れたる處あり」としている。

6歳の時に詠んだとされる「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」が大変な評判となり、有名になる。18歳で継母の連子で季吟門下の季成と結婚し、五男一女をもうける(二十歳で俳諧宗家と結婚し、四人の子どもをもうけるが、30歳を前にして夫と死別したとの説もある)。41歳で夫と死別。46歳で剃髪し、京都千本に庵を結ぶ。辞世とも伝わる「秋風の吹来るからに糸柳 こころ細くも散る夕べかな」は、この、剃髪の時に歌われたものだと言われている。52歳の時には法名を貞閑とし、55歳で播州網干に不徹庵を結んだ。

▶ 田捨女の俳句

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