俳句

季語|風鈴(ふうりん)

三夏の季語 風鈴

風鈴売(ふうりんうり)

風鈴の俳句と季語黒鉄の南部風鈴や、ガラスの江戸風鈴が有名。舌に短冊をつけることで、風が吹くたび涼しい音色を響かせる。「鈴」は、もともと「涼しい」から来た言葉。涼しい音色を愛でる風鈴こそが、古来の「鈴」の本当のかたちを残しているのかもしれない。

風鈴の起源は、中国の占風鐸だと言われ、物事の吉凶を占う道具だったとされる。それが仏教とともに伝わり、寺の四方を守る風鐸として、風鈴の古のかたちを成したと言われる。しかし、発掘される銅鐸に舌を伴うものがあることから、風鈴の先祖は、風鐸と形状が似ている銅鐸と見なすこともできるだろう。
「鐸」は「さなき」である。「さ」は「清」に通じ、「なき」は「鳴」で、「清浄なる鳴動を発するもの」である。平安時代には、魔除けとして軒先に吊るすこともあったそうで、その名も、風鐸と風鈴が混同されていたと見られる。そして、「清浄なる鳴動を発するもの」は宗教を離れて、次第に「涼しい音色を奏でるもの」として、民衆の中に入り込んでいった。
なお、風鈴と言えば江戸時代の名物のように見られているが、江戸風鈴が全盛を迎えたのは明治の中盤。江戸風鈴の名が定着したのは昭和40年代になってからである。ガラスの風鈴が江戸に持ち込まれたのは、江戸時代の中頃。長崎のガラス職人の手によるものは、その値段の高さが障壁となって、幕末までは庶民の手に届かなかった。しかしまた、江戸時代にこんな狂歌も生まれている。

売り声もなくて買い手の数あるは 音にしられる風鈴の徳

7月中旬の行事「川崎大師風鈴市」は有名。今も、風鈴を厄払いに使用することがあり、鬼門に吊り下げると良いとされる。

【風鈴の俳句】

風鈴の空は荒星ばかりかな  芝不器男
風連れて風鈴売が路地曲る  長谷川廷生

江戸風鈴最後の老舗・篠原風鈴本舗

300年の歴史を刻んだ江戸風鈴も、現代にまでその伝統を受け継ぐのは篠原風鈴本舗。江戸下町に工房を構え、時代の移り変わりとともに消えそうになる火を、必死に守り抜いている。その音色はしかし、濁りなく涼やか。



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