カテゴリー: 晩夏
季語|サルビア(さるびあ)
晩夏の季語 サルビア
緋衣草(ひごろもそう)
シソ科アキギリ属サルビアは、ブラジル原産で明治時代に渡来した。本来は多年草であるが、寒さに弱いため、日本では一年草となる。花期は5月から10月にわたり、秋の季語に分類されることもある。公園の花壇によく植えられ、赤い花を咲かせるが、白や紫の品種もある。
サルビアは長い花筒を持っており、それを抜き取れば人でも蜜を吸うことができる。この形態は、ハチドリによる鳥媒を促すためであり、虫を呼び寄せないために赤い花を咲かせるとの説もある。
かつては、同じシソ科アキギリ属の「ヤクヨウサルビア」もサルビアと呼ばれていたが、現在では「セージ」と呼ぶことが多い。「サルビア」として詠んでも差し支えはないが、季語となる「サルビア」は、一般的には赤色の花を咲かせるシソ科アキギリ属サルビアの一種「スプレンデンス」である。
「サルビア」の名はラテン語の「salvus(健康・安全)」を語源とし、「来路花」の漢字が当てられる。標準和名はヒゴロモソウ(緋衣草)である。
【サルビアの俳句】
老の身をサルビヤの火の中におく 山口青邨
サルビアの花には倦むといふ言葉 稲畑汀子




季語|片蔭(かたかげ)
季語|月見草(つきみそう)
晩夏の季語 月見草
花が夕方から咲くアカバナ科マツヨイグサ属の大まかな分類として、白い花を咲かせるものを「月見草」、黄色い花を咲かせるものを「待宵草」、赤い花を咲かせるものを「夕化粧」とする。しかし、白花と黄花はひとくくりにして、「月見草」と呼ぶことが多い。「月夜草」とも呼び、6月から9月頃に花をつける。
分類学上のツキミソウは、アカバナ科マツヨイグサ属の多年草で、花が夕方から咲くために月見草という。花は白色であるが、朝になって萎み始めるとピンク色になる。北米原産で、江戸時代末期に渡来して栽培された。
園芸品種のオオマツヨイグサや、北米原産のマツヨイグサ・メマツヨイグサ・コマツヨイグサは、現代では「待宵草」の名よりも「月見草」の名で親しまれている。こちらも江戸時代末期から明治時代にかけて日本に持ち込まれたもので、野生化した。特にメマツヨイグサやコマツヨイグサは、空き地や道端などに広く定着している。
文学上では太宰治の「富嶽百景」の一節「富士には月見草がよく似合う」が有名であるが、ここにいう「月見草」はオオマツヨイグサではないかと言われている。また、「待てど暮らせど…」で有名な竹久夢二の「宵待草」も、マツヨイグサ属の花を歌ったものだと言われている。
「月見草」は、街頭売春婦の隠語でもあった。因みに「待宵」は秋の季語である。
季語|射干(ひおうぎ)
晩夏の季語 射干
アヤメ科アヤメ属。本州から九州の草地に自生する多年草で、扇状に広がった葉が檜扇に似ていることから「ひおうぎ」という。7月から8月に、赤い斑点があるオレンジ色の一日花を咲かせる。
初秋になる種子は、「射干玉」と書いて「ぬばたま」と読み、古事記や万葉集の時代から、「黒」や「夜」にかかる枕詞として登場する。しかし、植物そのものは歌われていない。また、一般に「ぬばたま」は季語として認識されていない。
俳諧歳時記栞草(1851年)に「射干(ひあふぎ・からすあふぎ)」は、夏之部六月に分類されている。
「射干」は漢名で、「やかん」ともいう。また、「射干」を「しゃが」と読ませることもあるが、この場合はアヤメ科の近縁種「シャガ」を指し、「著莪の花」で夏の季語になる。
季語|白南風(しろはえ・しらはえ・しろばえ)
晩夏の季語 白南風
梅雨時の暗い空に吹く湿った風を「黒南風」というが、それに対して、梅雨が明ける頃、あるいは梅雨明け後に吹く南風を「白南風」という。
黒南風が曇天の風であるのに対し、白南風は好天を予想させる風である。ただし、梅雨の最中に雨が小降りになって、明るくなってきた空から吹いてくる南風を「白南風」と呼ぶこともある。
「白ばえて」と動詞にして使うこともある。
▶ 関連季語 南風(夏)
季語|三伏(さんぷく)
晩夏の季語 三伏
夏至後の第三庚を初伏、第四庚を中伏、立秋後初めての庚を末伏と呼び、それを総称して「三伏」と言う。七月中旬から八月上旬に当たり、一年で最も暑いころである。
五行思想に基づくもので、金は火に伏せられること(火剋金)から、陽金である庚は、火性を当てられる夏には凶となる。つまり晩夏は、秋の金気が勢いを増しながらも、夏の火気におさえられて伏している状態であり、庚の日にはそれが特に強くなるとする。種蒔き、男女和合など、諸々の行いが慎まれてきた。
酷暑の頃を表す言葉として、手紙などで「三伏の候」「三伏の猛暑」などとして使われてきた。
【三伏の俳句】
三伏の琴きんきんと鳴らしけり 長谷川かな女




季語|浜木綿(はまゆう・はまもめん)
晩夏の季語 浜木綿
浜万年青(はまおもと)
ヒガンバナ科の常緑多年草で、関東から九州にかけての海岸に、7月から9月にかけて芳香のある白い花を咲かせる。浜芭蕉ともいう。
神道で神事に用いる木綿(ゆう)に似ていることから「浜木綿(はまゆう)」の名がついた。また、葉が万年青に似ることから、「浜万年青」とも呼ぶ。
海岸の砂地に育つが、海流によって種子が運ばれたためである。温暖な地域に育つ植物であり、主に黒潮に乗って分布域を広げてきた。
浜木綿は、古く万葉集にも取り上げられた植物で、柿本人麻呂には
み熊野の浦の浜木綿百重なす 心は思へど直に逢はぬかも
の和歌がある。俳諧歳時記栞草(1851年)には「浜木綿の花」が立項されているが、ここでは秋之部八月に分類されている。因みに、「浜木綿の実」は、秋の季語になる。
【浜木綿の俳句】
雲よりも白き帆船浜木綿咲く 小島花枝




季語|土用鰻(どよううなぎ)
晩夏の季語 土用鰻
四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間、つまり、季節の終わりを土用という。「土用」とは、陰陽五行説で、土の気がもっとも働く期間のことである。因みに、春土用は戌の日に「い」のつく食べ物、夏土用は丑の日に「う」のつく食べ物、秋土用は辰の日に「た」のつく食べ物、冬土用は未の日に「ひ」のつく食べ物を食べると良いとされている。
「土用鰻」とは、夏の土用の丑の日に鰻を食べる事。また、食べる鰻のこともいう。この日に鰻を食べることで、夏負けしないと言われる。
古くから滋養強壮に良いと認識されていた鰻は、夏になると食味が落ちるために人気がなかった。そこで平賀源内が一計を案じ、丑の日に「う」のつくものを食べると良いという伝承を利用し、「本日土用の丑の日」と大書して、夏場の鰻屋の窮状を救ったという。また、鰻屋「神田川」に頼まれて、丑の日の鰻の狂歌を歌った太田南畝が、宣伝に一役買ったとの話もある。
青山白峰の「明和誌」(1822年)に、「土用に入、丑の日にうなぎを食す、寒暑とも家毎になす。安永天明の頃よりはじまる」とあり、土用鰻は、18世紀中ごろより一般化したと考えられている。
▶ 関連季語 鰻(夏)
【土用鰻の俳句】
遣り過す土用鰻といふものも 石塚友二



