ながむとて はなにもいたし くびのほね
西山宗因の句。牛飼(燕石編1658年)や懐子(松江重頼編1660年)などに載る。
新古今和歌集に載る西行の「眺むとて花にもいたく馴れぬれば 散る別れこそ悲しかりけれ」の本歌取。
▶ 西山宗因の句
浅草寺の句碑(東京都台東区)
浅草寺境内の新奥山に並ぶ石碑のひとつ、「三匠句碑」。西山宗因の「ながむとて花にもいたし頸の骨」、松尾芭蕉の「花の雲鐘は上野か浅草か」、宝井其角の「ゆく水や何にとどまるのりの味」が刻まれている。
文化6年(1809年)3月、優婆塞菜窓菜英によって建立。揮毫は雲歩恭阿。台石には、舊人丸堂にあったのを明治27年(1894年)仲春に移したとある。以下は、横の説明書きを写したもの。
三匠句碑 台東区浅草二丁目三番 浅草寺
ながむとて花にもいたし頸の骨 宗因
花の雲鐘は上野か浅草か 芭蕉
ゆく水や何にとどまるのりの味 其角
江戸時代前期を代表する俳人三匠の句が刻まれている。
西山宗因 慶長十年(一六〇五)肥後(熊本県)の生まれ。後、大坂に住み談林の俳風を開く。この句は「新古今集」にある西行法師の和歌「ながむとて花にもいたく…」からとった句。天和二年(一六八二)没。
松尾芭蕉 正保元年(一六四四)伊賀(三重県)の生まれ。数次の漂泊の旅に出て作品集や紀行文を残し、「おくのほそ道」は世に知られている。蕉風俳諧を樹立。元禄七年(一六九四)大坂で没。
榎本其角 寛文元年(一六六一)江戸に生まれる。蕉門十哲の一人。のち蕉風を脱し、その一派の傾向は、洒脱風などともいわれた。宝永四年(一七〇七)の没。
碑は文化六年(一八〇九)の建立。台石には明治二十七年(一八九四)春の移築の由来が記されている。
平成八年三月 台東区教育委員会
【撮影日:2019年10月14日】
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