俳句

松尾芭蕉の著作物

松尾芭蕉の著作物・重要な関連書籍(年代順)

▶ 俳諧撰集 貝おほひ
1672年(寛文12年)1月25日に上野天神宮(三重県伊賀市)に奉納されたもの。松尾芭蕉が故郷で宗房と名乗っていた頃の30番俳諧合。
⇒ 芭蕉全集前編161ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集 桃青門弟独吟二十歌仙
1680年(延宝8年)4月刊行。桃青(芭蕉)編。杉風・卜尺・卜宅ら初期蕉門の俳人21名の独吟歌仙。談林調から天和調への移行期に当たる。

▶ 俳諧撰集 武蔵曲
1682年(天和2年)大原千春編。寺田重徳刊。江戸の新しい俳風の意で、江戸に登った大原千春が、芭蕉らとの交流を目的として編集したもの。芭蕉翁桃青として「梅やなぎさぞ若衆かな女かな」などが載り、はじめて「芭蕉」の俳号が現れたことで知られる。

▶ 俳諧撰集 虚栗
1683年(天和3年)刊行。其角編芭蕉跋。蕉風への過渡期にある俳諧集で、その俳風は「虚栗調」「天和調」と呼ばれる。
⇒ 俳人其角全集第1巻2ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧紀行文 野ざらし紀行(甲子吟行)
1684年(貞享元年)8月から翌年4月まで、門人の千里を伴い、死去した母の墓参を目的に故郷伊賀上野への旅を記した松尾芭蕉最初の俳諧紀行文。「甲子吟行」ともいう。この旅で芭蕉は、京都など上方へも足をのばしている。書名は、旅立ちに際して詠んだ一句「野ざらしを心に風のしむ身かな」に由来する。1685年(貞享2年)成立。芭蕉死後、1768年(明和5年)に刊行。
⇒ 芭蕉選集81ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集 冬の日
1684年(貞享元年)刊行。山本荷兮編。俳諧七部集の一つ。1684年11月、「野ざらし紀行」の芭蕉が尾張国名古屋で荷兮らと興行した歌仙など。
⇒ 芭蕉七部集定本1ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集 蛙合
1686年(貞享3年)刊行。仙化編。1686年春、芭蕉庵に門弟を集めて、芭蕉の「古池や」の句をもとに蛙の句のみが詠まれた句合。
⇒ 日本俳書大系第2巻131ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集 波留濃日
1686年(貞享3年)刊行。「冬の日」と同じく山本荷兮が編集したもの。通称「春の日」。芭蕉七部集の一つ。
⇒ 芭蕉七部集定本19ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧紀行文 鹿島紀行(鹿島詣)
1687年(貞享4年)8月14日から、河合曾良と宗波を伴い、旧知の鹿島根本寺・仏頂禅師を訪ねて著した俳諧紀行文。月見を目的とする旅だったが、当日は無月。1687年(貞享4年)8月25日に成り、1790年(寛政2年)に刊行されている。
⇒ 芭蕉俳句紀行全集122ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧紀行文 笈の小文(卯辰紀行・芳野紀行)
1687年(貞享4年)10月に江戸から鳴海を経て伊賀上野で越年し、伊勢詣をしたあと杜国と吉野の花見をして関西を巡った際の紀行文。1690年頃成立し、1709年に河合乙州が「笈の小文」として出版した。
⇒ 芭蕉選集99ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧紀行文 更科紀行
1688年(貞享5年)8月、越智越人を伴い、名古屋から更科姨捨山の月見をして江戸に帰った時の紀行文。1689年頃の成立。1709年に「笈の小文」の付録として刊行された。
⇒ 芭蕉俳句紀行全集144ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧紀行文 おくのほそ道
松尾芭蕉の年譜1689年(元禄2年)3月27日(新暦1689年5月16日)から9月6日(新暦10月18日)まで、河合曾良を伴い東北・北陸を巡った折の松尾芭蕉の俳諧紀行文。芭蕉死後、1702年(元禄15年)に西村本を基に京都の井筒屋から出版刊行され広まった。中尾本・曾良本・西村本・柿衞本の4つの原本がある。俳諧紀行文というだけでなく、日本文学の傑作である。
⇒ 芭蕉俳句紀行全集148ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集 曠野(阿羅野)
1689年(元禄2年)刊行。西行五百歳忌を記念。序に、「冬の日」「春の日」に欠けた実の追求を意図していることが芭蕉により記されている。芭蕉七部集の一つ。
⇒ 芭蕉七部集定本38ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集 ひさご集
1690年(元禄3年)刊行。珍碩編。「おくのほそ道」の旅を終えた芭蕉を近江に迎えて興行した歌仙を収めたもの。芭蕉七部集の一つ。
⇒ 芭蕉七部集定本160ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集 猿蓑
1691年(元禄4年)5月成立。7月3日に井筒屋から刊行。去来凡兆共編。丈草跋。不易流行の理念、匂付の手法、景情一致の作風を確立し、俳諧の古今集とも言われる芭蕉七部集の一つ。
⇒ 芭蕉七部集定本177ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳文 芭蕉を移す詞
1692年(元禄5年)5月、第三次芭蕉庵に入り、芭蕉を移植した時の感慨を述べた俳文。
⇒ 芭蕉181ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集 深川
1693年(元禄6年)。浜田洒堂編。洒堂が1692年9月に深川の芭蕉庵を訪れて越年した時の俳諧集。
⇒ 芭蕉翁全集344ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳文 閉関の説
1693年(元禄6年)。甥の桃印が亡くなったあと、7月中旬から1か月門戸を閉ざした時の俳文。
⇒ 俳聖芭蕉翁224ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集 炭俵
1694年(元禄7年)6月28日奥書。志太野坡・小泉孤屋・池田利牛共編。芭蕉の「炭だはらといへるは誹也けり」との言葉により成立。「軽み」を具現化。芭蕉七部集の一つ。
⇒ 芭蕉七部集定本247ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集(追善集) 枯尾花
1694年(元禄7年)。10月12日に亡くなった芭蕉の追善集。上巻は其角の「芭蕉翁終焉記」と、10月18日に義仲寺で興行された追善の俳諧百韻を収める。下巻は嵐雪の墓参文や追悼歌仙などを収める。
⇒ 日本古典全集芭蕉全集前248ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳書 笈日記
1695年(元禄8年)刊行。各務支考編。蕉門の発句700句余りを掲載し、芭蕉終焉の貴重な資料ともなっている俳書。
⇒ 笈日記(国会図書館蔵)

▶ 俳書 芭蕉翁行状記
1695年(元禄8年)刊行。八十村路通編。1694年に成立。松尾芭蕉の略歴や葬送の様子などを記し、芭蕉研究における貴重な資料となっている。
⇒ 芭蕉翁行状記(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集 続猿蓑
1698年(元禄11年)。沾圃ら編。「猿蓑」の続篇で、「軽み」の作風が展開されている。芭蕉の監修、支考の加筆があったと考えられている。芭蕉七部集の一つ。
⇒ 芭蕉七部集定本313ページ(国会図書館蔵)

▶ 俳諧撰集 三日月日記
1730年(享保15年)。三日月塚を建立した記念集で、元禄の初めに山口素堂の序で編まれたものを、各務支考が芭蕉の故郷に求めて刊行。
⇒ 芭蕉庵三日月日記:荘内に於ける芭蕉ふろく(国会図書館蔵)


▶ 松尾芭蕉の俳句
▶ 松尾芭蕉について
▶ 松尾芭蕉の年譜
▶ 松尾芭蕉の句碑
▶ 松尾芭蕉関連グッズ