晩冬の季語 寒の雨
寒の内(寒の入から立春の前日まで:1月5日頃から2月3日頃まで)に降る冷たい雨。寒々とした冬の雨を指す「寒雨(かんう)」とは異なる。
「寒九の雨」とは、寒の入りから9日目(1月13日頃)に降る雨をいい、「寒九の雨は豊作のしるし」と言われた。寒九には、一番水が澄むとの言い伝えがある。
寒の内(寒の入から立春の前日まで:1月5日頃から2月3日頃まで)に降る冷たい雨。寒々とした冬の雨を指す「寒雨(かんう)」とは異なる。
「寒九の雨」とは、寒の入りから9日目(1月13日頃)に降る雨をいい、「寒九の雨は豊作のしるし」と言われた。寒九には、一番水が澄むとの言い伝えがある。
「厄払い」とは、とりついた悪いものを取り除くという意味がある。本来は「厄祓」と書き、神仏に祈って穢れを払い落とすことである。
「厄落し」とは、災厄を模擬化して、以降の災厄を取り除こうとするものである。江戸時代には褌を落として「厄落し」とし、これを「ふぐりおとし」と呼んだ。
厄払いは寺社に行けば年中受け付けてもらえるものではあるが、現在では元旦から節分までに行われることが多い。俳諧歳時記栞草(1851年)では「厄払、厄落」として、冬之部十二月に分類している。古くは旧暦大晦日に行われ、節分の行事であった。
現代でも、災厄に見舞われるとされる「厄年」は、広く認識されている。厄年とは、数え年の男25歳・42歳・61歳、女19歳・33歳・37歳になる1年のことである。
厄拂あとはくまなき月夜かな 大島蓼太
寒弾(かんびき)・寒稽古(かんげいこ)・寒復習(かんざらい)
寒中の早朝や夜更けに、芸事などの稽古をすること。三味線の稽古をすることを「寒弾」という。武道においては「寒稽古」という。
寒さの中で精神を鍛え、技術の向上を目指す。
雪が降っても通行できるように、町家の庇などを張り出して、下を通路にしたもの。その構造が、雁の編隊飛行の形に似ていることから「雁木」の名がついた。船着場の階段状の構造物や、雁が編隊飛行しているように見える階段も「雁木」というが、それとは異なる。
青森県では小見世(こみせ)、山形県では小間屋(こまや)、鳥取県では仮屋(かりや)などと呼ばれ、雪が多い日本海側の町で見られたが、現在では新潟県と青森県黒石市に残るのみだという。新潟県東蒲原郡阿賀町津川には「雁木発祥の地」の碑がある。青森県黒石市は、まちづくりの一環として保存維持を進めている。