桃(もも)

初秋の季語 

白桃(はくとう)水蜜桃(すいみつとう)

季語バラ科モモ属の桃は、7月から8月頃に実をつける。一般的に食せられる桃は水蜜種と呼ばれ、実の色に応じて、白桃と黄桃に分かれる。
原産地は黄河上流域であり、縄文時代前期に渡来していた痕跡がある。しかし、水蜜種が広がったのは明治時代になってから。その酸味ゆえにシロップ漬けなどにされていたものが、明治32年に岡山の大久保重五郎が新種の白桃を発見したことにより、日本独自の、甘くて大きな白桃が出現した。

日本人と桃との関係は古く、古事記の「黄泉の国」の項に、黄泉の国から逃げ帰る伊邪那岐(いざなき)が、黄泉比良坂の坂本の桃の子(実)を3つ取って、追っ手に投げつけて退散させたとある。その桃の子に意富加牟豆美の命(おほかむづみのみこと)と名付け、「葦原の中つ国(日本)に住む人々の苦境時には、私を助けたように助けてやって欲しい」と告げたとある。これは当時、薬として使用していたことを伺わせる記述でもある。
また、日本書紀には、伊弉諾(いざなき)が、追い来る雷に桃の実を投げて退散させ、「桃を用いて鬼を防ぐ」の元となったとある。これが「桃太郎」の話に繋がっていくが、そのモチーフになったのは、崇神紀に現われる吉備津彦であると考えられている。
桃に特別な力が備わっていると考えられてきた痕跡は、発掘資料からも分かる。邪馬台国の有力候補地であり、崇神天皇らが都を置いた場所付近に当たる纒向遺跡では、大量の桃の実が発掘されている。「ももしき」が大宮にかかる枕詞だったこともあり、邪気払いのために敷き詰められていた可能性もある。
中国では古くより、仙木・仙果と呼ばれ、邪気を祓い、不老長寿を与える植物として親しまれてきた。
万葉集に「桃」の歌は7首載るが、主に花を歌い、積極的にその実を食す習慣はなかったと見られる。ただ、詠み人知らずの歌の中に、恋の結実を祈って桃の実に掛けた歌が1首存在する。

はしきやし我家の毛桃本茂く 花のみ咲きてならずあらめやも

「もも」の語源は諸説あるが、「百(もも)」との関連が指摘される。つまり、多くの実をつけるから「もも」となった説である。漢字の「桃」も、木偏に「兆」となっており、「兆」は「きざし」、つまり事象の多様化を孕む文字である。

「桃」を用いた言葉は数多いが、理想郷を指す「桃源郷」、忍耐を説く「桃栗三年柿八年」、早口言葉の「すもももももももものうち」などがある。

わがきぬにふしみの桃の雫せよ  松尾芭蕉
病間や桃食ひながら李画く  正岡子規

インターネット歳時記


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