新春の季語 御降り
雨が降ることを「御降り」と言うが、俳句の世界では正月三が日に降る雨や雪のことを「御降り」として、新春の季語とする。これを、天から神霊が降り下ると見たり、神霊に捧げた供物をもらい受けると見る。
蚕飼(こがい)・蚕屋(こや)・蚕棚(かいこだな・こだな)・捨蚕(すてご)・桑子(くわこ・くわご)
「蚕」とは、鱗翅目カイコガ科カイコガ属カイコガのことで、特にその幼虫を指す。幼虫は桑の葉を食べて蛹になるが、その繭は絹になる。
蚕を飼育して繭を生産することを「養蚕」というが、5000年以上前に中国で始まったと考えられている。中国の伝説では、黄帝の后である西陵氏が始めたとされている。カイコガは、家畜化されて家蚕(かさん)と呼ばれ、一頭二頭と数える。養蚕に特化した昆虫であり、今では野生回帰能力を完全に失ってしまった。
日本でも古い時代から養蚕が行われているが、蚕の染色体の解析から中国から伝来したとの考え方が定着している。古事記にはスサノオがオオケツヒメを征した時、頭から蚕が生じたとしている。魏志倭人伝にも養蚕が行われていたことが記されており、発掘遺物の状況から、弥生時代に養蚕が始まったと考えられている。
万葉集には「蚕」として3首の歌が載るが、いずれも「母が飼ふ蚕」として登場する。柿本人麻呂は、
たらちねの母が養ふ蚕の繭隠り 隠れる妹を見むよしもがも
と歌っている。
養蚕は、桑の葉がある4月から9月頃に行われる。孵化した幼虫は4回脱皮し、五齢幼虫となって一週間ほどすると糸を吐き、繭をつくって蛹になる。卵から蛹になるまで約25日。養蚕では、この繭をとって絹にするが、そのまま置いておくと12日で成虫になる。飼育時期に応じて「春蚕(はるこ)」「夏蚕(なつこ)「初秋蚕」「晩秋蚕」と呼ぶが、「蚕」は俳諧の時代にはすでに春のものとなっている。
現在では養蚕業は下火となり、ピーク時には200万戸以上あった養蚕農家も数百戸にまで減少した。第二次世界大戦前の日本では、絹は重要な輸出品であり、蚕は「おかいこ様」とも呼ばれており、その頃の記憶は世界遺産・富岡製糸場に残されている。
蚕を飼うことを「蚕飼」というが、かつては北西に祭壇を設けて蚕神を祀り、清浄を保って行う作業であった。その場所は「蚕屋」と呼んで注連縄を引き、蚕を飼う蚕籠(こかご)をのせる蚕棚を置いた。病気の蚕は「捨蚕」と呼んで捨てた。
「かいこ」の語源は「殻(かいご)」であるとの説がある。日本書紀には、雄略天皇六年に家臣に蚕を集めるように指示したが、間違えて児を集めたとの記述があり、古くは「こ」と呼ばれていたと考えられている。そこから「蚕(こ)」に「飼」がついて「かいこ」と呼ぶようになったとの説もある。
「ハマグリ」は、マルスダレガイ上科マルスダレガイ科ハマグリ属の二枚貝で、近縁種にチョウセンハマグリやシナハマグリもあり、見た目で区別することは難しい。中国産のシナハマグリに対し、チョウセンハマグリは「汀線蛤」と書き、在来種である。チョウセンハマグリはハマグリよりも深いところに生息し、殻に厚みがある。
日本における生息地は、北海道から九州沿岸の砂泥の中で、縄文時代から重要な食材になっていた。食材としては2月から4月の春が旬で、桑名の焼蛤は名物になっている。
二枚の貝殻がぴったりと重なり合うことから、夫婦和合の縁起物であり、結婚式には蛤のお吸物が出る。また、三月三日の雛祭に食べると、良縁を招くとされる。
「貝合わせ」という重なり合う貝殻を探し出す遊びがあるが、この貝合わせには蛤が使用された。
古くは二枚貝の総称として「はまぐり」が使用されていたと言われ、「浜の栗」が語源になっているとされる。
古事記には「大国主の神」の項に蛤貝比売(うむがいひめ)が登場し、赤貝を神格化したキサ比売(きさがいひめ)とともに、大火傷を負った大国主を蘇らせている。ここでは、赤貝の汁を絞って薬としたものを、蛤の貝殻に入れるかのような描き方がされている。
不良少年らを指して「ぐれる」と言うことがあるが、これは「はまぐり」がもとになった「ぐりはま」から来ている。「ぐりはま」とは、殻がぴったりと合わないことを指したもので、食い違いを意味する。そこから「ぐれはま」に転訛し、いつしか不良少年らを指して「ぐれる」と言うようになった。
「厄払い」とは、とりついた悪いものを取り除くという意味がある。本来は「厄祓」と書き、神仏に祈って穢れを払い落とすことである。
「厄落し」とは、災厄を模擬化して、以降の災厄を取り除こうとするものである。江戸時代には褌を落として「厄落し」とし、これを「ふぐりおとし」と呼んだ。
厄払いは寺社に行けば年中受け付けてもらえるものではあるが、現在では元旦から節分までに行われることが多い。俳諧歳時記栞草(1851年)では「厄払、厄落」として、冬之部十二月に分類している。古くは旧暦大晦日に行われ、節分の行事であった。
現代でも、災厄に見舞われるとされる「厄年」は、広く認識されている。厄年とは、数え年の男25歳・42歳・61歳、女19歳・33歳・37歳になる1年のことである。
厄拂あとはくまなき月夜かな 大島蓼太
タカラガイ科の巻貝の総称で、熱帯から亜熱帯の海域に分布する。日本近海では約100種が知られている。子安貝と呼ぶこともあり、その場合は、大型のハチジョウダカラを指すことが多い。ハチジョウダカラの貝殻は、妊婦が持つと安産になるとされてきた。
古代中国の殷王朝をはじめ、その貝殻は、世界中で貨幣として用いられてきた。そのため、金銭に関する漢字の部首には「貝」が用いられることが多い。日本では、縄文時代に既に装身具として使用され、「竹取物語」(平安時代前期)にも、燕が産むという珍宝「燕の子安貝」として登場する。現在でも高値で取引されることがある。
俳句に詠まれるのは主にその貝殻であり、春の季語となるのは、同じく春の季語となる「貝寄風」に関連し、春は浜辺に貝殻を探す季節だからである。また、「竹取物語」に関連して、春に営巣する燕が生むからだという説もある。
しらお・しろお・銀魚(ぎんぎょ)
キュウリウオ目シラウオ科シラウオは、全国の汽水域に生息する半透明の小魚で、水揚げすると白色になる。成長すると8センチほどの大きさになり、2月から5月頃に産卵し、1年で寿命を迎える。生食にしたり天婦羅にしたり佃煮にしたり、様々に調理して食される。春の季語になっており、旬は産卵前の立春の頃である。
スズキ目ハゼ科シロウオ(素魚)とよく混同される。素魚は、春に踊り食いすることで知られる小魚であるが、季語として詠まれることはない。
細くて白い女性の指を、この魚の姿に譬えて「白魚のような指」という。
あけぼのやしら魚しろきこと一寸 松尾芭蕉
七草(ななくさ)・春七草(はるのななくさ・はるななくさ)・七草粥(ななくさがゆ)
七草粥を食べて祝う正月七日の節句を「人日の節句」といい、「七種」とも呼ぶ。邪気を払い万病を除く目的で食す「七草粥」には、七種の野菜が入る。七種の野菜は、時代や地方によって異なることもあるが、「芹(せり)」「薺(なずな)」「御形(ごぎょう)」「繁縷(はこべら)」「仏の座(ほとけのざ)」「菘(すずな)」「蘿蔔(すずしろ)」であり、「年中故事要言」に
芹齊五形はこべら仏の座 菘すずしろこれぞ七種
と歌われる。
七種の行事は、年初に行われた「若菜摘み」という古代の風習につながるものであり、中国から伝わった「人日」により、平安時代ころから「七種菜羹」という7種の野菜の羹(あつもの)を食べる習慣が定着したと言われる。
七草は、六日の晩に「七草なずな唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に七草なずな」と歌いながら俎板の上でたたき、七日の朝に粥に入れる。この囃し歌は、鳥追い歌に由来していると言われ、豊作を祈る行事とのつながりも指摘されている。
本来「七草」は秋の七つの草を指すものであるが、現在ではこれを「秋の七草」として区別し、春のものはそのまま「七種」「七草」と呼ぶのが普通である。