カテゴリー: 晩春
季語|清明(せいめい)
季語|草木瓜(くさぼけ)
晩春の季語 草木瓜
櫨子の花(しどみのはな)・地梨の花(じなしのはな)
草木瓜は、バラ科ボケ属の植物で、関東以西の山地の斜面など、日当たりのよいところに自生する。同属の木瓜は、平安時代に中国から入ってきたと考えられており、日本の在来種がこの「草木瓜」である。
草木瓜は、木瓜よりも低木で、棘のある枝が横に広がり、草のように見える。木瓜よりやや遅れて、4月から5月頃に花が咲く。花は一重の朱色であるが、八重咲きや、黄色や白い花を咲かせるものもある。
別名に「櫨子(しどみ)」があるが、これは秋にできる果実からきた名前で、酸っぱいその実を「酸ど実」と呼んだものが転訛したと考えられている。
庭に植えると火事を招くとの俗説があり、庭木としては好まれない。
季語|松露(しょうろ)
晩春の季語 松露
松露は、ショウロ科ショウロ属のキノコの一種で、形は球体でトリュフに似る。本州から九州の海辺の松林に春や秋に見られるが、希少価値が高い。食味は美味で香りもよい。
現代では春の季語に分類することが多いが、俳諧歳時記栞草(1851年)では、秋之部八月に分類される。松の津液が凝結してできたものだと考えられ、そのため「松露」の名がついた。
トリュフにはセイヨウショウロの和名があるが、ショウロは担子菌門であるのに対して、こちらは子嚢菌門で、同じキノコではあるが、分類学上は全くの別物である。また、ニセショウロというよく似たキノコもあるが、これは毒キノコになる。ショウロの内部が白色であるのに対し、こちらは内部が黒い。
季語|岩燕(いわつばめ)
晩春の季語 岩燕
ツバメ科ツバメ属イワツバメは、ツバメより小ぶりで、ツバメに比べて尾羽の切込みが浅い。腰が白い羽毛で覆われるのもイワツバメの特徴である。九州以北に夏鳥として飛来し、温暖な地方では越冬することもある。
3月中旬から4月頃に飛来し、海岸や山地の岩場に、泥と枯れ草を使って壷形の巣をつくる。最近では、コンクリートの建造物に、集団で営巣する様子も観察される。8月頃まで繁殖活動を行い、そのほとんどのものは秋に南へと去っていく。
因みに広東料理の高級食材となる「燕の巣」は、本種のものではなくアマツバメ科の鳥の巣で、ツバメやイワツバメとは全く違う種類の鳥である。
【岩燕の俳句】
岩燕風を嫌ひて濤を好く 原裕
季語|蚕(かいこ・こ)
晩春の季語 蚕
蚕飼(こがい)・蚕屋(こや)・蚕棚(かいこだな・こだな)・捨蚕(すてご)・桑子(くわこ・くわご)
「蚕」とは、鱗翅目カイコガ科カイコガ属カイコガのことで、特にその幼虫を指す。幼虫は桑の葉を食べて蛹になるが、その繭は絹になる。
蚕を飼育して繭を生産することを「養蚕」というが、5000年以上前に中国で始まったと考えられている。中国の伝説では、黄帝の后である西陵氏が始めたとされている。カイコガは、家畜化されて家蚕(かさん)と呼ばれ、一頭二頭と数える。養蚕に特化した昆虫であり、今では野生回帰能力を完全に失ってしまった。
日本でも古い時代から養蚕が行われているが、蚕の染色体の解析から中国から伝来したとの考え方が定着している。古事記にはスサノオがオオケツヒメを征した時、頭から蚕が生じたとしている。魏志倭人伝にも養蚕が行われていたことが記されており、発掘遺物の状況から、弥生時代に養蚕が始まったと考えられている。
万葉集には「蚕」として3首の歌が載るが、いずれも「母が飼ふ蚕」として登場する。柿本人麻呂は、
たらちねの母が養ふ蚕の繭隠り 隠れる妹を見むよしもがも
と歌っている。
養蚕は、桑の葉がある4月から9月頃に行われる。孵化した幼虫は4回脱皮し、五齢幼虫となって一週間ほどすると糸を吐き、繭をつくって蛹になる。卵から蛹になるまで約25日。養蚕では、この繭をとって絹にするが、そのまま置いておくと12日で成虫になる。飼育時期に応じて「春蚕(はるこ)」「夏蚕(なつこ)「初秋蚕」「晩秋蚕」と呼ぶが、「蚕」は俳諧の時代にはすでに春のものとなっている。
現在では養蚕業は下火となり、ピーク時には200万戸以上あった養蚕農家も数百戸にまで減少した。第二次世界大戦前の日本では、絹は重要な輸出品であり、蚕は「おかいこ様」とも呼ばれており、その頃の記憶は世界遺産・富岡製糸場に残されている。
蚕を飼うことを「蚕飼」というが、かつては北西に祭壇を設けて蚕神を祀り、清浄を保って行う作業であった。その場所は「蚕屋」と呼んで注連縄を引き、蚕を飼う蚕籠(こかご)をのせる蚕棚を置いた。病気の蚕は「捨蚕」と呼んで捨てた。
「かいこ」の語源は「殻(かいご)」であるとの説がある。日本書紀には、雄略天皇六年に家臣に蚕を集めるように指示したが、間違えて児を集めたとの記述があり、古くは「こ」と呼ばれていたと考えられている。そこから「蚕(こ)」に「飼」がついて「かいこ」と呼ぶようになったとの説もある。
季語|東菊(あずまぎく)
季語|都忘れ(みやこわすれ)
晩春の季語 都忘れ
「都忘れ」とは、キク科シオン属ミヤマヨメナの園芸品種で、4月から6月頃に紫・桃・白などの花を咲かせる。野生種のミヤマヨメナ(深山嫁菜:別名に野春菊)は本州から九州に自生し、栽培され始めたのは江戸時代からだと考えられている。
「都忘れ」は不稔性で、株分けによって増殖させる。
「都忘れ」の名は、承久の乱の後に佐渡に流された順徳天皇が、この花を愛でながら都を忘れようとしたところから来ている。その順徳天皇の和歌に、
いかにして契りおきけん白菊を 都忘れと名付くるも憂し
がある。乱の中心人物であり、父である後鳥羽上皇が好んだ白菊への、複雑な感情が表れている。
【都忘れの俳句】
雑草園都忘れは淡き色 高浜年尾
季語|勿忘草(わすれなぐさ)
晩春の季語 勿忘草
勿忘草は、ムラサキ科ワスレナグサ属の植物の総称で、中でもシンワスレナグサのことを指すことが多い。ただし、園芸種でワスレナグサとして流通しているのは、ノハラワスレナグサの場合が多い。
ヨーロッパ原産で、日本には先ず、ノハラワスレナグサが明治時代に入ってきた。現在では野生化し、全国の湿地帯に広がって、4月から6月頃にさそり型花序の花をつける。
「勿忘草」の名は、中世ドイツの伝説から来ている。それによると、騎士ルドルフは恋人のためにドナウ川に咲くこの花を摘もうとしたが、川に飲み込まれた。流されながらも花を岸に投げ、「忘れないでくれ」と言って亡くなった。恋人は、墓にその花を捧げ、「Vergissmeinnicht(勿忘草)」の名をつけたという。欧米では友愛や誠実の象徴となっており、花言葉は「真実の愛」「私を忘れないで下さい」である。
【勿忘草の俳句】
シヤンソンを聴く薄明の勿忘草 きくちつねこ
季語|金鳳華(きんぽうげ)
晩春の季語 金鳳華
金鳳花(きんぽうげ)
金鳳華は、キンポウゲ科キンポウゲ属の花のことである。国内で一般的なのは同属のウマノアシガタであるが、ウマノアシガタの八重咲種には「キンポウゲ」の標準和名が与えられている。
ウマノアシガタは、全国の日当たりのよい山野に自生し、4月から6月頃に咲く。毒草である。
花を金色の鳳凰に見立てて名付けられたものであるが、「金鳳花」は、中国では鳳仙花の別名として通っている。
俳諧歳時記栞草(1851年)では春之部三月に「金鳳花」として立項し、「毛茛(もうこん)」「鬼の田芥子(おにのたがらし)」の別名を載せている。「毛茛」の「茛」は鳥兜の苗のことであり、鳥兜と同じく毒を持つことを言い表したものである。
【金鳳華の俳句】
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ 種田山頭火