カテゴリー: 仲春
季語|雪崩(なだれ)
仲春の季語 雪崩
山の斜面に積もった雪が崩れ落ちる自然現象で、振動や気温の上昇などによって、結合していた雪の塊が崩れて発生する。積雪があるところではいつでも発生する可能性があるが、雪が融け始める春に発生しやすいと言える。
かつて表層雪崩は「あわ」、全層雪崩は「なで」などと呼ばれていたが、明治初頭に官林調査で「頽雪(なだれ)」に統一され、大正時代の末ころから「雪崩」が使われるようになった。語源は「なだれる」にあり、「傾れる」などと書き、崩れ落ちることを言った。
雪崩の初出は1076年の連歌で、前右衛門佐経仲歌合で澄覚法師が歌った「雪ふかみ夜半の嵐になだれして いとど越路はうづもれぬるらん」だと考えられている。
【雪崩の俳句】
遠雪崩ひとりの旅寝安からず 藤田湘子




季語|残雪(ざんせつ)
仲春の季語 残雪
春になっても融け残っている雪のこと。俳諧歳時記栞草(1851年)では、春之部正月に「残雪(のこりのゆき)」を分類し、続拾遺集にある一条前関白の「春なれどなほ風さゆる山かげにこほりてのこるこぞのしら雪」の和歌を載せる。
万葉集には柿本人麻呂の和歌が載る。
御食向かふ南淵山の巌には 降れるはだれか消え残りたる
ここにあるはだれは「斑雪」で、春になって降る雪のことである。
水無瀬三吟の宗祇の発句「雪ながら山本かすむ夕べかな」は、残雪のことだと言われている。
▶ 関連季語 春の雪(春)
【残雪の俳句】
雪残る頂一つ国境 正岡子規




季語|名残雪(なごりゆき)
仲春の季語 名残雪
忘れ雪(わすれゆき)・雪の果(ゆきのはて)・名残の雪(なごりのゆき)・雪の名残(ゆきのなごり)・雪の別れ(ゆきのわかれ)・涅槃雪(ねはんゆき)
春になっても消えずに残っている雪や、春に降る雪のことをいう。
「雪の果」と言うと、その冬最後に降る雪という意味合いが強くなる。これは、陰暦二月十五日の涅槃会前後に降る雪のことで、「涅槃雪」とも言う。
1974年に「かぐや姫」が発表した「なごり雪」は、1975年にイルカが歌って大ヒットした。またこの楽曲をモチーフとして、大林宣彦監督が同名映画を2002年に公開している。
▶ 関連季語 春の雪(春)
▶ 関連季語 淡雪(春)
【名残雪の俳句】
発心の小机作る雪の果 石田波郷




季語|貝寄(かいよせ)
季語|薇(ぜんまい)
季語|茅花(つばな・ちばな)
仲春の季語 茅花
茅萱の花(ちがやのはな)
茅花は、イネ科チガヤ属チガヤの花の事。全国の草地に群生し、雑草として扱われることがある。4月から6月頃に、白い綿毛に包まれた花穂を出す。サトウキビの近縁種でもあり、花穂には甘みがある。昔は子供のおやつ代わりになった。
茅花の花穂をなびかせる風は「茅花流し」と呼んで、夏の季語になる。「茅萱」や「茅」は秋の季語になる。
万葉集には「茅花」を歌った和歌が4首あり、紀女郎が大伴家持に贈った和歌に
戯奴がためわが手もすまに春の野に 抜ける茅花ぞ食して肥えませ
それに応えた大伴家持の和歌に
我が君に戯奴は恋ふらし給りたる 茅花を食めどいや痩せに痩す
がある。
【茅花の俳句】
夕べ淋しさや茅花茅花の明り持つ 高田蝶衣




季語|一人静(ひとりしずか)
仲春の季語 一人静
吉野静(よしのしずか)・眉掃草(まゆはきそう)
センリョウ科チャラン属ヒトリシズカは、山野の林内に自生する多年草で、4月から5月頃に花が咲く。そのブラシ状の花の形状から、眉掃草の別名がある。また、「吉野山みねの白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき」と歌った源義経の寵妾・静御前に因んで、「吉野静」とも呼ばれる。
花序を2本持つ近縁種の「二人静」に対比させて「一人静」と呼ばれるようになったとも、静御前がひとり舞う姿に見立てて「一人静」と名付けられたとも言われる。
万葉集の中の長歌に一所だけ登場し、「山背」の枕詞(つぎねふ山背道)となる「つぎね」は、一人静あるいは二人静のことだという説がある。
【一人静の俳句】
一人静むらがりてなほ淋しけれ 加藤三七子




季語|春蘭(しゅんらん)
季語|連翹(れんぎょう)
仲春の季語 連翹
連翹は、モクセイ科レンギョウ属の半つる性植物の総称で、主に中国原産のレンギョウ、シナレンギョウ、朝鮮半島原産のチョウセンレンギョウを指す。これらの開花期は3月から4月頃。限られた地域でしか見られない日本原産種のヤマトレンギョウやショウドシマレンギョウは、開花時期が約1ヵ月遅れる。
レンギョウの花弁は丸みを帯び、シナレンギョウは細長い。チョウセンレンギョウは細長い花弁を持ち、枝が弓なりに垂れるところに特徴がある。これら3種の連翹は、耐寒耐暑性に優れ、大気汚染や病虫害にも強いことから、全国の公園などによく植えられている。
「連翹」は直立した茎に連なる実がなることを表したもので、もともと中国で巴草を指す漢字であったが、日本で誤用されて音読みで「れんぎょう」と呼ぶようになったとされる。俳諧歳時記栞草(1851年)には春之部二月に分類され、和名抄の引用で「和名以多知久佐(いたちぐさ)、一名以多知波世(いたちはぜ)」とある。
渡来時期は不明であるが、出雲国風土記(733年)の意宇郡・秋鹿郡に山野の草木として「連翹(いたちぐさ)」が記載されていることから、太古に遡るという説があるが、平安時代や江戸時代前期との説も存在する。
彫刻家で詩人の高村光太郎の命日は4月2日であるが、生前好んだ連翹の花が、棺の上に一枝置かれていたことから、「連翹忌」という。
【連翹の俳句】
連翹の枝の白さよ嫋さよ 山口青邨



