三春の季語 春の雨
万葉集にはすでに春雨が歌われている。よみ人しらずではあるが、
春雨のやまず降る降る我が恋ふる
人の目すらを相見せなくに
などがある。また、嘉永年間 (1848年~1855年) に流行した端唄に「春雨」がある。
春雨にしっぽり濡るる鶯の
羽風に匂う梅が香や
花にたわむれしおらしや
小鳥でさえもひと筋に
ねぐら定めぬ気はひとつ
わたしゃ鶯 主は梅
やがて身まま気ままになるならば
さあ鶯宿梅ぢゃないかいな
さあ何でもよいわいな
万葉集にはすでに春雨が歌われている。よみ人しらずではあるが、
春雨のやまず降る降る我が恋ふる
人の目すらを相見せなくに
などがある。また、嘉永年間 (1848年~1855年) に流行した端唄に「春雨」がある。
春雨にしっぽり濡るる鶯の
羽風に匂う梅が香や
花にたわむれしおらしや
小鳥でさえもひと筋に
ねぐら定めぬ気はひとつ
わたしゃ鶯 主は梅
やがて身まま気ままになるならば
さあ鶯宿梅ぢゃないかいな
さあ何でもよいわいな
寒夕焼(かんゆうやけ)・冬茜(ふゆあかね)・寒茜(かんあかね)
単に「夕焼」といった場合は夏。夕焼の翌日は晴れるという。
夕焼の言葉が成立したのは比較的新しく、江戸時代後半に「夕焼」を詠んだ句が散見される。季語となったのは明治以降である。なお、中世には「ほてり」と呼んでいたらしい。中国では夕焼に「霞」の字を当てる。「やけ」も夕焼けを指す言葉として使われているが、朝焼けにも使用されていることから、「やけ」とは「明け」あるいは「朱」の転訛かもしれない。
春水(しゅんすい)・水温む(みずぬるむ)・春の川(はるのかわ)・水の春(みずのはる)
川や池や水田の水。雪どけや春雨で水かさは増し、次第に温み、命を育む。海水に対して「春の水」を用いることはない。
「水」は、「満つ」からきているという説がある。古事記における水の神・弥都波能売(ミツハノメ)は、火神・迦具土(カグツチ)を生んで陰部を火傷した伊耶那美(イザナミ)の、尿が化成したとある。