俳人ゆかりの旅館

宮城県

作並温泉 鷹泉閣 岩松旅館

明治26年8月、正岡子規が「はて知らずの記」で宿泊した旅館。そこに「温泉は廊下伝ひに絶壁を下る事数百級にして漸く達すべし。浴槽の底板一枚下は即ち涼々たる渓流なり」と記し、「夏山を廊下づたひの温泉かな」と詠んだ風情は今も残る。他に「涼しさや行燈うつる夜の山」。荻原井泉水らも宿泊し、現在では「俳句の里」としての町おこしが進められる中、その中心となっている旅館である。

千葉県

鴨川グランドホテル

瀬戸内寂聴「いよよ華やぐ」のモデルでもある女流俳人・鈴木真砂女は、鴨川グランドホテルの前身である吉田屋旅館に生まれた。夫の蒸発に伴い舞い戻った吉田屋旅館で姉の死に遭遇し、女将を引き継ぐ。俳句をしていた姉の遺稿を整理するうちに俳句に目覚めたという真砂女には、印象的な恋の句が多い。吉田屋旅館は昭和40年に鴨川グランドホテルに形を変え、「鈴木真砂女ミュージアム」を併設する。玄関には「初凪やもののこほらぬ国に住み」の句碑も。

東京都

ホテル椿山荘東京

山縣有朋の屋敷だった椿山荘は、多くのイベントが開催され、俳人にも馴染みの深い場所である。芭蕉史跡である関口芭蕉庵も隣接しており、広大な庭園や、神田川沿いの遊歩道は、東京とは思えないほどに緑あふれる静かな散策コースとなっている。椿山荘で詠まれた俳句も多く、会津八一には「椿山荘枯木の中の椿かな」がある。因みに関口芭蕉庵は、月曜日火曜日と、年末年始が休館日なのでご注意を。

長野県

軽井沢万平ホテル

俳句にインスパイアされて名曲「イマジン」を生んだと言われるジョン・レノンが好んで宿泊したホテル。昭和49年には、山本健吉と井上靖が「利休と芭蕉」をテーマに対談を行っている。軽井沢に別荘を持っていた室生犀星の滞在もあり、室生犀星記念館にも近い。殿村菟絲子に「グラス噛むばかり愛しむちゝろ虫」、徳田千鶴子に「三十余年前万平ホテルに滞在中の秋櫻子を病篤き遷子訪うて」の前書で「霧の中別れ言はずに別れけり」。

湯田中温泉 湯田中湯本

柏原に帰郷した小林一茶と、1813年ころから親交を温めた湯田中湯本の主人・希杖は、一茶の七番日記にも登場する。一茶の「わか草に笠投やりて入る湯哉」は、ここで詠まれたものか。また、一茶に魅せられた荻原井泉水金子兜太ら、多くの文人たちも訪れた旅館。膨大な量の資料は、かつては隣接する「湯薫亭」に展示されていたそうだ。現在は、館内に展示コーナーがある。

石川県

和倉温泉 加賀屋

「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で常時1位に輝き続ける、日本を代表する旅館「加賀屋」。昭和24年4月26日には、高浜虚子が宿泊し、その時に詠まれた俳句「家持の妻恋舟か春の海」は、近くの弁天崎公園に句碑となって残されている。水原秋櫻子も、昭和31年10月26日に宿泊し、翌朝「能登島の横雲明くるわたり鳥」と詠んでいる。

京都府

ウェスティン都ホテル京都

京都の迎賓館と呼ばれる最高級ホテル。昭和9年、日野草城が当ホテルを舞台に「ミヤコホテル」を発表。ミヤコホテル論争を巻き起こす。その時の俳句に「けふよりの妻と来て泊つる宵の春」「をみなとはかかるものかも春の闇」「失ひしものを憶へリ花曇」など10句。殿村菟絲子は、夫が都ホテルで倒れて「一夜のみ生きて手つなぐ春の雁」と詠んでいる。

奈良県

奈良ホテル

辰野金吾・片岡安の設計により、明治時代に開業した「西の迎賓館」とも呼ばれるクラシックホテル。奈良公園内にあり、奈良観光に最適。国内外の多くの著名人が滞在し、大正5年11月には、国民新聞の社員だった高浜虚子が取材に訪れている。日野草城に「春昼や炊煙あぐる奈良ホテル」、山口誓子に「けふも奈良ホテル春雨に樋鳴れり」などがある。

兵庫県

城崎温泉 ゆとうや旅館

志賀直哉の「城崎にて」が生まれた三木屋もいいが、二千坪の日本庭園を有する「ゆとうや旅館」も、文人墨客ゆかりの宿として知られている。但馬倦鳥句会会員でもあった当主の関係から、度々句会が開催され、松瀬青々らが多くの俳句を残している。館内にある青々の句碑「一の湯の上に眺むる花の雨」は、青々本人の揮毫である。

山口県

春帆楼

下関条約が締結された名旅館「春帆楼」は、1888年に河豚料理公許第一号店となったことでも知られている。伊藤博文をはじめ、多くの有名人が訪れており、後藤比奈夫に「しをりあり春帆楼の秋の雨」、能村研三に「春帆楼見えて海峡霞みけり」。関門海峡を挟んだ九州側には、系列の河豚料理店「三宜楼茶寮」がある。その3階の「俳句の間」は、高浜虚子が俳句を詠んだ部屋であり、北九州ゆかりの杉田久女の句も掲げられている。

愛媛県

道後温泉 ふなや

正岡子規が「亭ところどころ渓に橋あるもみじかな」、夏目漱石が「はじめての鮒屋泊りをしぐれけり」、高浜虚子が「ふるさとに花の山あり温泉あり」と詠んだ、道後の老舗旅館。高浜虚子は夏目漱石と鮒屋で食事をし、「漱石氏と私」の中に、その時の様子を綴っている。現在でも県下一の格式を持った旅館として知られ、館内には山頭火の句碑などがあり、これまでに荻原井泉水水原秋櫻子富安風生ら、多くの俳人が宿泊している。