季語|酉の市(とりのいち)

初冬の季語 酉の市

一の酉(いちのとり)・二の酉(にのとり)・三の酉(さんのとり)・熊手市(くまでいち)

季語と俳句酉の市(酉の丁銘物くまで)11月の酉の日に行われる祭礼に伴う市で、本来は酉の祭の意味で「とりのまち」と発音する。「お酉さま」とも呼ばれる。
11月の酉の日は、2回の年と3回の年があり、初酉を「一の酉」、2番目を「二の酉」、3番目を「三の酉」と言う。「三の酉」まである年は火事が多いとか、吉原遊郭に異変があるなどの俗説があった。
酉の市の縁起物の代表として熊手が知られるが、これは鷲の爪を模したと言われ、福徳を鷲掴みにするという意味が込められている。その他にも縁起物として、頭になって出世すると言われる「頭の芋」、風邪にかからないといわれる「切り山椒」などがある。

酉の市が行われる神社では、東京都台東区の鷲神社が最も有名で、日本最大の酉の市「浅草酉の市」が行われる。11月の酉の日に、日本武尊が戦勝のお礼参りをして、社前の松に武具の熊手を立て掛けたとの社伝がある。
なお江戸時代は、東京都足立区の大鷲神社における酉の市が最も盛んであったが、御祭神を勝負運の神として賭博が行われるために、酉の市では博打が禁止されたという。そのため、吉原遊郭に近かった浅草の鷲神社の方に人が流れたと言われている。
この足立区の大鷲神社が江戸酉の市の発祥となっており、「本酉」と言われる。その酉の市のはじまりは、収穫祭だったと考えられている。
なお、浅草の鷲神社は「新酉」と言われる。酉の市は、主に関東地方を中心とする祭りである。

「酉の市の売れ残り」という、醜女を指す言葉がある。酉の市の夜に大繁盛する吉原で売れ残ってしまう女性を指したとも、酉の市の縁起物の中のお多福の面に絡めたものだとも言われている。

【酉の市の俳句】

世の中も淋しくなりぬ三の酉  正岡子規
賑はひに雨の加はり一の酉  木内彰志

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季語|大根(だいこん・だいこ・おおね)

三冬の季語 大根

大根引(だいこんひき・だいこひき)

季語と俳句(浪花自慢名物尽天満大根)アブラナ科ダイコン属の越年草で、原産地は中東とされる。食用とする根は年中収穫されるが、最も収穫が多いのは冬で、冬の季語となっている。ただし、「すずしろ」は大根の古名であり、こちらは春の七草として新春の季語に分類される。
日本で栽培されるもののほとんどは青首大根であるが、その他にも、練馬大根に代表される白首大根、蕎麦の薬味に使われる辛味大根、世界一の大きさを誇る桜島大根などがある。
根は野菜の代表種でもあり、生食されたり加熱調理したり、様々なかたちで食されるが、その葉もまた食用にされる。「大根葉」という季語は現在のところ見当たらないが、虚子に「流れ行く大根の葉の早さかな」という句があるように、「大根」に付随する形で、概して冬を表す。

日本人と大根とのつきあいは古く、仁徳天皇陵から大根の種子が発見されている。古事記ではその仁徳天皇記に、「志都歌の歌ひ返し」という一連の歌があり、仁徳天皇が嫉妬する皇后に向けて歌った2歌の中に「おほね」として出て来る。どちらも「つぎねふ山代女の木钁持ち打ちし大根」の歌い出しで詠まれ、はじめの歌は大根を女性の白い腕に見立てている。
このように古くは、その根の大きさから「おほね(おおね)」と言っていたが、室町時代あたりより「だいこん」と呼ぶようになった。
俳諧歳時記栞草に「大根」の項目はないが、「大根引(だいこひく)」は掲載されている。貞享式の引用で「大根引、此詞は冬の当用なり。大根(だいこ)と略して音語によむべし。京家のおほね引に効ふべからず」とある。

大根は、ジアスターゼを多く含み、消化を助ける効果がある。そのため食当たりすることがないので、何をやっても当たらない役者を「大根役者」と呼ぶ。
また上記のように、すらりとした女性の美しい腕を大根に喩えていた時代もあるようだが、現在では「大根足」のような使い方をする。

【大根の俳句】

大根引き大根で道を教えけり  小林一茶
引きすすむ大根の葉のあらしかな  加舎白雄

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季語|海鼠(なまこ・かいそ・こ)

三冬の季語 海鼠

季語と俳句海鼠ウニ、ヒトデなどが属する棘皮動物門。その内のナマコ綱に属する。中でも、食用になるのはシカクナマコ科のマナマコなど約30種類。
目・耳・鼻や心臓もなく、前端の口と後端の肛門を結ぶ消化器が、主たる器官である。海底に堆積した有機物を食べながら生活し、攻撃を受けると消化器を放出するものもあるが、数カ月で再生する(マナマコにこの機能はない)。なお、雌雄異体で、生殖器はある。

食用とされるマナマコの旬は初冬。比較的低温を好み、水温が25℃以上となると「夏眠」する。
マナマコは体色から三種に大別され、外洋性のアカコ、内海性のアオコ、さらに色素が濃くなったクロコがある。食用としては、中国でクロコが海のダイヤとも称され、最も高価。アオコが最も安価で、通常はアカコの半値以下で取引される。
ナマコを生食するのは、ほぼ日本に限られ、食用として珍重する中国においても生食はしない。また日本では、内臓を塩蔵したものを「このわた」と言い、ウニ・からすみと並ぶ日本三大珍味に数え上げる。
ナマコは、滋養強壮薬・皮膚病薬としての漢方薬としても知られており、中国では海の人参という意味の「海参」の名で呼ばれる。

海鼠は、古くは「こ」と呼ばれている。古事記の「猨女の君」の項に、魚を集めて「天つ神の御子に仕えまつるか」と聞いたところ、海鼠(こ)だけが何も言わなかったため、天の宇受売(あめのうずめ)が紐小刀で口を裂いたとある。なお、この説話には「速贄(はやにえ)」の表現があり、少なくとも古事記が編纂された奈良時代のはじめには、海鼠が食用にされていたことが伺える。
ナマコの語源は、触ると小さく固まることから、「凝(こる)」にあるとされ、それに「生」がついたもの。俳諧歳時記栞草では、「生海鼠」と書いて「なまこ」と読ませている。

【海鼠の俳句】

生きながら一つに冰る海鼠哉  松尾芭蕉
憂きことを海月に語る海鼠かな  黒柳召波

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季語|室咲(むろざき)

三冬の季語 室咲

室の花(むろのはな)

季語と俳句の室咲温室の中ならば、冬に春の花を咲かせることもできる。俳諧歳時記栞草には、11月条に「室咲の梅」があり、「室の内、或は土蔵の内に炉火を儲け、これを暖むる時は、其火気に感じて忽ち開く、これを室咲の梅といふ」とある。これを「室の梅」ともいう。
現代ではこれらを「温室植物」と呼ぶこともあり、洋蘭がその代表種である。(*『温室植物』はまた、花を温室のように葉で囲った形状を持つ高山植物の一種のことをも指す。)

【室咲の俳句】

室咲や父が遺愛の虫眼鏡  林徹

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季語|焼藷(やきいも)

三冬の季語 焼藷

焼芋(やきいも)

季語と俳句と焼藷寒くなると、サツマイモを熱した焼藷がよく売れる。
サツマイモは、1705年に、琉球から薩摩に伝わった。1719年の朝鮮通信使の「海遊録」に、京都郊外における焼藷(蒸し芋)売買の情景記録があり、この頃に焼藷は生まれたと考えられている。
江戸に焼藷屋が現れたのは、1793年のこと。「江戸繁盛記」(1831年)では煨薯と書かれ、「江戸の婦人、皆、阿薩(おさつ)と曰う」との記述があるように、羞恥心から隠語が使われがちであった。また、店では「八里半」と表記し、その理由を「栗の字、九里と訓ず。乃ちその味、栗と相似て、然も較々少し下るを以っての故に、これを名づくるのみ」としている。
また、「十三里」という表現もあるが、これは「栗(九里)より(四里)美味い」の意味が込められており、産地であった川越(江戸から十三里離れている)のことをも指す。

戦後、リヤカーなどの移動式の石焼き芋屋が繁盛したが、外食産業の発展やコンビニの登場で、現在ではその数も少なくなった。しかし今でも焼藷文化は絶えることなく、コンビニでは人気商品ともなっている。また、「いーしやぁーきいもー、おいもー」の声や、芋焼の笛の音を街角で聞くことがある。
石焼芋に使用されるサツマイモの種類は、「鳴門金時」「紅あずま」「ベニオトメ」などで、ねっとりとした食感に焼き上がる。

【焼藷の俳句】

焼藷屋むかしの汽車の笛鳴らす  三河まさる

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季語|蜜柑(みかん)

三冬の季語 蜜柑

蜜柑山(みかんやま)

季語と俳句の蜜柑ミカン科ミカン属の常緑小高木は、種類によって実をつける時期が異なるが、一般的な「温州みかん」は、11月から12月頃に収穫されるため、冬の季語となる。その他の冬に結実する種類では、1月から2月に実をつける「いよかん」などがある。
柑橘類は、主に暖地に育ち、日本では、南国の南斜面を蜜柑畑として利用することが多い。特に海に近い南斜面は、海の反射光もあるために、甘くて輝くような色の蜜柑ができると言われている。
かつては、日本で最も消費量の多い果実であったが、その地位は後退し、一世帯あたりの消費量においては、主食の代替として浮上したバナナやリンゴの後塵を拝している。

蜜柑は「甘い柑橘」の意味で、それに当てはまる温州みかんのことを、普通は「蜜柑」と言う。柑橘の名産地である中国浙江省の温州にあやかって「温州みかん」と呼ばれるが、約500年前に鹿児島県出水郡長島町で偶発実生したと考えられている。因みに、英語では「Satsuma orange」と言う。
江戸時代に温州みかんは、「種なし」の特性が忌避されて普及しなかった。その当時の蜜柑と言えば、紀伊國屋文左衛門で有名な「紀州みかん」であった。因みに紀州みかんは、温州みかんの親となる品種である。
俳諧歳時記栞草には、九月条に「和漢三才図会」の引用で「太知波奈」の和名は、橘類の総名也。今、単に太知波奈と称するものは包橘也。専果とし、其皮を薬とす。すなはち蜜柑也。其実、熟するときは蜜の如し。故に名づく。」とある。また、「たはれ草」の引用で、「橘は淮をわたりて化して枳(からたち)となるをいへるを、ふしぎなりといひしに、此国にてもみつからん・九年母などいへるもの、其樹を移して出羽に植れば、みな枳殻(きこく)となるといへり。」ともある。
「橘化為枳(橘化して枳と為る)」という言葉があるが、これは、境遇によって元の性質が変化することをいう。

蜜柑のもととなる柑橘は、インドのアッサム地方近辺が原産地だと考えられている。日本への伝来は、「古事記」「日本書紀」に記されている。それによると垂仁天皇の時代に、多遅摩毛理(たぢまもり)を常世の国に遣わせて、時じくの香の木の実(ときじくのかくのこのみ)という不老不死の果実を求めさせた。しかし、多遅摩毛理がその実を持って帰ってきた時には、天皇は既に崩御されていたという。
この「時じくの香の木の実」というのは、「いつも良い香りのする木の実」と言う意味で、橘のことだと言われている。
また、魏志倭人伝には、当時(3世紀)の日本に「橘があるが、食べることはない」と書かれている。
このように、古くから親しまれてきた柑橘であるが、万葉集には「橘」として、72首が載る。大伴家持は

橘は花にも実にも見つれども いや時じくになほし見が欲し

と歌っている。

【蜜柑の俳句】

死後も日向たのしむ墓か蜜柑山  篠田悌二郎

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季語|湯ざめ(ゆざめ)

三冬の季語 湯ざめ

季語と俳句で湯冷め入浴後に身体が冷えると、病気になることも。湯ざめの一番の原因は、温まった身体からの汗である。湯ざめをしないためには、身体についた水気を拭き取るとともに、体温が下がるまで、こまめに汗を拭き取ることが必要である。

【湯ざめの俳句】

星空のうつくしかりし湯ざめかな  松村蒼石

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季語|枯芒(かれすすき)

三冬の季語 枯芒

冬芒(ふゆすすき)枯尾花(かれおばな)

季語と俳句で枯芒穂が散って、芯だけになった芒。貧相なものが、さらに貧相になることも「枯すすき」と言う。
俳諧歳時記栞草には、十月条に「枯尾花」が載り、貞享式の引用で「此名は古今に論ありて、秋ともいひ、冬ともいへど、枯の字を結びては冬と定むべし」とある。

野口雨情作詞、中山晋平作曲の民謡に「枯れすすき」があり、大正11年に「船頭小唄」に改題して大ヒットした。そんな中、関東大震災が発生し、この暗い歌が震災を引き起こしたのではないかと囁かれるほどであった。
また昭和49年には、さくらと一郎の「昭和枯れすゝき」も、哀愁を帯びた曲調で大ヒットした。

▶ 関連季語 芒(秋)

【枯芒の俳句】

狐火の燃えつくばかり枯尾花  与謝蕪村
化物の正体見たり枯尾花  横井也有

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季語|北風(きたかぜ・きた・ほくふう)

三冬の季語 北風

寒風(かんぷう)

季語と俳句北風冬に、大陸から吹き寄せてくる北よりの風には、身を切るような冷たさがある。日本海側では、海の湿気を吸い上げて雪となり、山を越えて太平洋側に出るにつれて、乾燥した風となる。

童謡「たき火」には、「北風ぴいぷう吹いている」と歌われる。また、「北風と太陽」は、イソップ物語の中でも特に有名な寓話のひとつである。

【北風の俳句】

北風の奪へる声をつぎにけり  中村汀女

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季語|暖房(だんぼう)

三冬の季語 暖房

暖炉(だんろ)ストーブ(すとーぶ)スチーム(すちーむ)

暖房の俳句と季語東京における暖房期間は、11月下旬から3月中旬。平均気温が10℃を下回ると、需要が増す。
古くは、紀元前95年にローマのゼルギウス・オラタが発明したとされる「ハイポコースト」が知られており、中国東北部から朝鮮半島でも、紀元前後から「オンドル」が用いられている。日本でも、飛鳥時代にオンドルが伝わっていたと見られるが、普及はしていない。
日本では、部屋に暖をとるための道具として、縄文時代には既に囲炉裏のようなものがあったと考えられている。奈良時代には、火鉢の原型である火舎があり、後に枕草子には「火など急ぎおこして炭もて渡るもいとつきづきし。昼になりてゆるくゆるびもてゆけば 炭櫃火桶の火も白き灰がちになりぬるはわろし」と、「炭櫃」「火桶」などと呼ばれる。
ストーブは、明治時代から輸入され、手軽さがうけて、戦後、急速に普及した。1972年には、冷房専用だったエアコンに、暖房機能を併用したものが発売され、家屋の気密性の向上とともに普及していった。
現在では様々なかたちの暖房があり、上記のストーブやエアコン(エア・コンディショナー)以外にも、ファンヒーター、スチーム、オイルヒーター、セラミックヒーターなど、環境にも配慮した装置の開発競争が進んでいる。

【暖房の俳句】

一片のパセリ掃かるる暖炉かな  芝不器男

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