俳句

季語|案山子(かがし・かかし・あんざんし・そおず・そおど)

三秋の季語 案山子

捨案山子(すてかがし)鳥威(とりおどし)

案山子の俳句と季語収穫期の作物を守る目的で置かれる、鳥威のひとつ「案山子」も、近年では田畑で目にすることが少なくなった。その反面、過疎化の進む町村で、町おこしのツールとして用いられたりもしている。

「案山」とは深山と里の境界の構造物のことで、そこに魔除けとして立てた人形を「案山子」と言った。
「かがし」の語源は、節分の魔除け「焼嗅がし」に通じる。臭いで害獣をはらうものとの位置付けである。
また「そおず」と呼ぶ場合は、「添水」の意で、水の力で音を出す鹿おどしからきている。しかしまた、桓武天皇の病気平癒を祈願して大僧都となった僧侶、玄賓に因るとも言われる。案山子のことを玄賓僧都(げんぴんそうず)と呼ぶこともあるが、玄賓の創案によるからとも、続古今和歌集に載る僧都玄賓の和歌

山田守る僧都の身こそあはれなれ 秋果てぬれば問ふ人もなし

から来ているとも。
古事記の少名毘古那神(すくなびこなのかみ)の項では、少名毘古那の名を明かした神・久延毘古(くえびこ)を案山子とする。久延毘古は、山田の曾富騰(そほど)と呼ばれ、「足は行かねども天下のことを尽に知れる神」とされる。現代では、曾富騰を、雨に濡れる意の「そほつ」と解する見方がある。

【案山子の俳句】

名月にけろりと立しかゞし哉  小林一茶

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季語|木槿(むくげ)

初秋の季語 木槿

白木槿(しろむくげ)底紅(そこべに)

木槿の俳句と季語アオイ科フヨウ属の落葉低木。別名に「ハチス」。原産地は中国。韓国では国花となっている。韓国名の「無窮花(ムグンファ)」が転訛して、「むくげ」になったとの語源説がある。
7月から10月頃に花をつける。芙蓉と似ているが、芙蓉の雌蕊は上に向いて曲がるのに対し、槿は雌しべの先が真っすぐに伸びる。ハイビスカスも近縁種である。

白居易の「放言」

泰山不要欺毫末 顔子無心羨老彭
松樹千年終是朽 槿花一日自為栄
何須戀世常憂死 亦莫嫌身漫厭生
生去死来都是幻 幻人哀楽繋何情

から、朝咲いて夕方には萎む一日花と認識されている。これにより「槿花一日の栄」「槿花一朝の夢」という、人の世の儚さを指す言葉が生まれた。実際に、木槿の花の寿命は短いが、2日以上咲くものもある。
日本には平安時代に渡来したとの説があるが、万葉集に詠み人知らずで、

こい転び恋ひは死ぬともいちしろく 色には出でじ朝顔が花

の歌が載る。ここでいう朝顔が、木槿であるとも言われる。

【木槿の俳句】

道のべの木槿は馬に食はれけり  松尾芭蕉

▶ 秋の季語になった花 見頃と名所

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季語|芙蓉(ふよう)

初秋の季語 芙蓉

白芙蓉(しろふよう)酔芙蓉(すいふよう)

俳句と季語(当盛六花選・芙蓉)アオイ科フヨウ属の落葉低木。中国では蓮のことを芙蓉と呼んでおり、日本では、区別するために「木芙蓉(もくふよう)」と呼ぶ。蓮のことは「水芙蓉(すいふよう)」とも呼ぶ。ただし、俳諧歳時記栞草では、「木芙蓉」と書いて「ふよう」と読ませ、蓮のことを「草芙蓉」と呼んでいる。

槿(むくげ)と似ているが、槿は雌しべの先が真っすぐなのに対し、芙蓉は上に向いて曲がる。ハイビスカスも近縁種である。
中国原産で、沖縄、九州・四国の海岸近くに自生する。7月から10月頃に花をつける。朝咲いて夕方には萎む1日花で、次々に花を咲かせる。「酔芙蓉」は、朝は白く、時間が経つにつれて赤みがかってくるため、酔った姿に擬して名がついた。

富士山には、「芙蓉峰」あるいは「芙蓉」の名がついている。

【芙蓉の俳句】

日を帯びて芙蓉かたぶく恨みかな  与謝蕪村
たちいでて芙蓉のしぼむ日に逢へり  加舎白雄

▶ 秋の季語になった花 見頃と名所

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季語|踊(おどり)

初秋の季語 

踊子(おどりこ)

踊の俳句と季語俳句で「踊」と言えば、盆踊りのことで秋の季語となる。盆に帰ってきた先祖の霊を慰めるための行事である。
俳諧歳時記栞草の「踊」の項には、「懸踊」「念仏踊」「題目踊」「燈籠踊」「伊勢踊」「木曾踊」「小町踊」「七夕踊」が載る。

平安時代に空也上人が始めた、死者を供養するための踊念仏が、盂蘭盆会の行事と結びつき、盆踊りになったと言われている。原初の盆踊りは、死者に扮して頬被りをし、新盆を迎える家の前で輪を作って踊ったという。本来は、旧暦7月15日の晩に満月の下で盆踊りを行い、16日に精霊送りをした。
時代が下ると、男女の出会いの場としての性格を帯び、風紀を乱すとして、取締り対象となることもあった。

「踊り」は、「尾」と、操るの意味の「取る」からなるという説がある。犬の尾をイメージした躍動感が、「おどる」なのかもしれない。
因みに、「踊」は跳躍運動をもとにした動きで、「舞」は旋回運動をもとにする動きだと言われている。

現在では、全国各地で盆踊りが開催されている。中には阿波踊りのように、一地方で開催されていたものが全国に広がっていった例もある。
踊りと言えば、出雲阿国の歌舞伎踊りも知られるが、こちらは現在の「歌舞伎」に受け継がれている。阿国は、出雲大社勧進のために、「ややこ跳」を行ったとされる。

【踊の俳句】

六十年踊る夜もなく過しけり  小林一茶

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季語|西瓜(すいか)

初秋の季語 西瓜

西瓜ウリ科の西瓜の原産地は、アフリカの砂漠地帯。日本への伝来は室町時代と考えられているが、鳥獣戯画に西瓜と見られる貢物が描かれており、平安時代に伝来していた可能性もある。
西瓜は、江戸時代後半に全国に広まったと考えられているが、当時のものに縦縞はなく、「鉄かぶと」と呼ばれる黒色のものだった。
明治時代には、世界各地から様々な品種の西瓜が導入され、栽培されるようになった。現代では交配も進み、大玉種、小玉種ともに多くの種類の西瓜が作られている。
赤肉系大玉品種で一般的な「祭ばやし777」の露地物は、7月から9月上旬に出回る。ハウス栽培だと、4月下旬に店頭に出ていることもある。

立秋を過ぎた頃に旬となるため、秋の季語として扱われる。しかし、現代の日本では夏の風物詩となっており、夏の砂浜では西瓜割りに興じる姿をよく目にする。
迷信に、「西瓜の種を食べると臍から芽が出る」ということがあるが、スイカの種は栄養価も高い。アジアやアフリカでは、西瓜の種を食材にしている地域もある。

中国の西方から伝来した瓜であるため「西瓜」の名がついたとされるが、水分を多く含んでいるから「水瓜」の意味で、スイカと名付けられたとの説もある。

【西瓜の俳句】

こけざまにほうと抱ゆる西瓜かな  向井去来

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季語|蜩(ひぐらし・かなかな)

初秋の季語 

かなかな

蜩の俳句と季語カメムシ目セミ科に属するの一種で、春蝉と近縁。朝夕に甲高い声で合唱し、「カナカナ」と聞きなす。
俳句を詠むに当たって、蝉は夏に分類されるが、蜩は秋に分類され、七十二候にも初秋に寒蝉鳴(ひぐらしなく)がある。しかし、実際には蝉の中でも春蝉に次いで早くから鳴き始め、梅雨時には合唱が始まり、9月くらいまでその声が聞こえる。

日が暮れる頃に合唱が聞かれることから、日を暮れさせるものとの意味で「ひぐらし」の名がついた。万葉集には蝉を詠んだ歌10首の内、9首が蜩の歌となっている。詠み人知らずの

ひぐらしは時と鳴けども片恋に たわや女われは時わかず泣く

は、片想いに泣く自らの立場と、時間通りに鳴く蜩の立場とを見事に対比させている。

【蜩の俳句】

蜩や一日一日をなきへらす  正岡子規
かなかなの鈴ふる雨となりにけり  久保田万太郎

【蜩の鳴き声】
北海道から奄美大島の各地に生息し、日の出・日の入り時を中心に、森の中で合唱する。6月下旬から9月頃まで鳴き声を聞くことができる。その鳴き声は「カナカナ」と聞きなす。(YouTube 動画)

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季語|残暑(ざんしょ・のこるあつさ)

初秋の季語 残暑

秋暑(しゅうしょ)秋暑し(あきあつし)

残暑の俳句と季語立秋を過ぎても残る暑さを言い秋の季語となる。立秋は8月7日前後なので、それ以降の暑さは残暑となる。概ね8月いっぱいの暑さを残暑と言う。
東京では、8月1日から8月10日頃に、最高気温・最低気温ともに1年を通じて最も高くなる。よって立秋あたりでは、秋の気配はなかなかに見つけにくい。
また、最高気温も8月いっぱいは30度を超えるため疲労が蓄積し、真夏以上に暑さが堪えるのが残暑の特徴と言える。

【残暑の俳句】

草の戸の残暑といふもきのふけふ  高浜虚子
秋暑しわれを死なしむ夢いくたび  佐藤鬼房

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季語|立秋(りっしゅう)

初秋の季語 立秋

秋立つ(あきたつ)秋来る(あきくる)今朝の秋(けさのあき)

立秋の俳句と季語二十四節気の第13。夏至と秋分の中間で、太陽暦では8月7日頃。暦上は、この日から秋になる。
立秋を期間と捉えた場合の七十二候は、涼風至(すづかぜいたる)・寒蝉鳴(ひぐらしなく)・蒙霧升降(ふかききりまとう)。

古今和歌集に載る藤原敏行の

秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

が、立秋の歌として広く知られる。

【立秋の俳句】

そよりともせいで秋たつことかいの  上島鬼貫
立秋や雲の上行く雲とほく  鈴木真砂女

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季語|花火(はなび)

晩夏の季語 花火

手花火(てはなび)遠花火(とおはなび)

花火の俳句と季語(両こく大花火)盆の鎮魂や秋祭りの奉納として打ち上げられ、秋の季語として扱う場合もあるが、両国の花火が川開きとともに行われたことが全国に広がり、夏の風物詩として定着し、夏の季語となっている。
俳諧歳時記栞草では秋之部に分類され、和漢三才図絵の引用で「熢燧(のろし)に代ふべきもの」としているが、「夏月河辺の遊興」との記述もある。
その種類も多く、観賞用では打上花火・仕掛花火・手花火などのおもちゃ花火に分けられる。

花火のルーツは、6世紀頃の中国の狼煙と言われている。13世紀にヨーロッパに渡り、色と音が加わった。日本で観賞用に花火が用いられはじめたのは、室町時代から戦国時代だと考えられているが、外国人の布教に伴うものである。
現代につながる花火を最初に鑑賞したのは、徳川家康だと言われており、1613年8月にイギリスの国司が駿府城を訪れて披露したとされる(1589年に伊達政宗が米沢城で見た、中国人花火師によるものがはじめてのものだとの説もある)。
江戸時代になると、戦での火薬の使用が減少していくとともに、花火を専門に扱う火薬屋が登場し、おもちゃ花火(手花火)の製造を行った。
流行とともに江戸では火災が頻発したために、17世紀に3回に分けて花火禁止令が出された。その影響で、江戸を追われるように地方に花火が広がっていく。

因みに、1659年におもちゃ花火をはじめて売り出した鍵屋が、現在における日本で最も古い花火業者(宗家花火鍵屋)となっている。鍵屋は1711年に、徳川家宣の命で、初めて隅田川に花火(流星)を打ち上げた。享保18年(1733年)5月28日には、水神祭の両国川開き大花火を創始している。
鍵屋と並んで名の挙がる「玉屋」は、1808年に鍵屋が番頭に暖簾分けして生まれた。両国の川開きでは、両国橋を挟んで上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持ち、鍵屋を凌ぐ勢いがあった。しかし、火事を起こしたために一代で取り潰しとなった。
「花火屋は何れも稲荷の氏子なり」という川柳がある。鍵屋は稲荷神を守護神とし、玉屋に暖簾分けする際に、鍵と玉をそれぞれに持つ眷属にあやかったということを謳ったものである。

日本の花火は美しいと言われるが、その最大の特徴は丸さである。外国の花火玉は筒を用いるのに対し、日本の花火玉は球形なので、打ち上がった時に美しい球となる(現在では、外国の花火も改良が進んでいる)。

【花火の俳句】

ねむりても旅の花火の胸にひらく  大野林火
遠き闇終の花火と知らで待つ  野澤節子

【花火】
花火は、目だけでなく耳でも楽しむもの。だから、最近はやりの音楽などいらない。(YouTube 動画)

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季語|炎昼(えんちゅう)

晩夏の季語 炎昼

夏の昼(なつのひる)

炎昼の俳句と季語(夢二ひるさがり国立国会図書館オンライン)晩夏の昼は、日射しも強く気だるさを伴うイメージ。灼けつくような夏の午後の暑さを、炎昼と表現した。「炎」は「炎帝」の「炎」であり、「炎帝」は夏を司る神。
昭和13年の山口誓子の句集に「炎晝」があり、「南風つのり湖東の城の鳴りわたる」などが載る。この句集より「炎昼」が多く詠まれるようになり、夏の季語として定着したという。

【炎昼の俳句】

炎昼や日照る石また昃る石  伊丹三樹彦

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