俳句

季語|蛙(かわず・かえる)

三春の季語 

初蛙(はつかわず)・殿様蛙(とのさまがえる)・赤蛙(あかがえる)・土蛙(つちがえる)

殿様蛙脊椎動物亜門・両生綱・カエル目に分類される。古称は「かわず(かはづ)」であるが、これは主にその鳴き声を愛でるカジカガエルを指す言葉である。日本に見られる蛙の代表種に、ニホンアマガエルがいるが、「雨蛙」とした場合は夏の季語となる。また、「青蛙」「ひき蛙」「牛蛙」も夏の季語である。地中で冬眠するニホンアマガエルは、3月頃から11月頃まで活動する。春の季語とした場合は、休眠から覚めて、水辺で繁殖活動を始めた頃のものとなる。

万葉集には「かはづ」として20首が登場し、厚見王に

かはづ鳴く神奈備川に影見えて 今か咲くらむ山吹の花

があるように、カジカガエルの鳴き声を愛でる。平安時代になるとアマガエルとの混同がみられるようになり、現在に至る。江戸時代になって詠まれた松尾芭蕉の「古池や~」の句は、「不易流行」の代表句と捉えられ、現在につながる俳句の端緒になったとされることがある。ちなみにカジカガエルを指す「河鹿(かじか)」は、夏の季語である。
日本では「帰る」に掛けられることがあり、「お金がかえる」として、蛙に関するものを財布の中に入れておくと、財を成すと言われる。また、「井の中の蛙大海を知らず」「蛇に睨まれた蛙」「ゆで蛙」「蛙の子は蛙」など、蛙を使った多くの言葉が生まれている。

【蛙の俳句】

古池や蛙とびこむ水の音  松尾芭蕉
やせ蛙負けるな一茶これにあり  小林一茶

季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に

季語|虻(あぶ)

三春の季語 

季語と俳句で虻双翅目ハエ亜目に属する。二枚の翅を有する蝿や蚊の仲間であり、虻・蝿の間に、明確な区分はない。
虻と言えば、血を吸う害虫のイメージもあるが、多くの種類はハナアブやヒラタアブに代表されるような、植物の受粉を助ける益虫である。血を吸うアブには、ヤマトアブやウシアブがあり、メスのみが吸血する。成虫の活動期も6月から9月頃であり、春のイメージはない。

「虻」は本来「あむ」と発音する。古事記の雄略天皇の項には、「アム、御腕を咋ひけるを、すなわち蜻蛉来て、そのアムを咋ひて、飛びき」とあり、古来、害虫との位置づけにあったことが読み取れる。虻を退治する蜻蛉の勇猛さを称えて、大和の国を蜻蛉島(あきづしま)と呼ぶようになったと、ここで語られている。
飛翔時に「ボー」と音を出すことから、虫偏に「亡」があてがわれて、「虻」の漢字が生まれたと言われている。「蝱」は異字体。

【虻の俳句】

大空に唸れる虻を探しけり  松本たかし

季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に

季語|春雷(しゅんらい)

三春の季語 春雷

春の雷(はるのらい)初雷(はつらい)

春雷(出雲大社)「雷」は夏の季語、「寒雷」は冬の季語で、「春雷」と言えば、立春を過ぎて鳴る雷の事をいう。特に、立春後に初めて鳴る雷を「初雷」という。春の雷は、暖かさを呼ぶものとされており、夏の雷ほどの激しさはない。
啓蟄の頃によく鳴ることから、「虫出しの雷」とも呼ばれる。

【春雷の俳句】

下町は雨になりけり春の雷  正岡子規
春雷や布団の上の旅衣  島村元

季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に

季語|蓬(よもぎ)

三春の季語 

季語と俳句で蓬中央アジア原産のキク科の多年草。日本では在来種として、本州以南に自生する。特有の香りを持ち、ハーブの女王の異名がある。
繁殖力が強く、地下茎を伸ばして集団で生えている。早春に若芽を出し、8月から10月にかけて、淡褐色の小花を穂状につける。風媒花であり、秋の花粉症の原因ともなる。
食材に用いることが多い春の季語となるが、「夏蓬」という夏の季語にもなる。

別名を餅草(もちぐさ)といい、餅に入れて食すほか、新芽を汁物の具にしたり、天ぷらにしたりする。また、灸に使うもぐさにしたり、漢方薬にもなる。
語源説にはいくつかあるが、よく繁殖して四方に広がる様を「四方草(よもぎ)」と書いたという説が有力。万葉集の大伴家持の長歌には「余母疑(よもぎ)」と詠み込まれているが、古くは「さしも草」とも呼ばれ、小倉百人一首第51番には藤原実方朝臣の和歌(後拾遺集)で、

かくどだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを

がある。

【蓬の俳句】

蓬つむ洗ひざらしの母の指  中尾寿美子

季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に

季語|遍路(へんろ)

三春の季語 遍路

遍路杖(へんろづえ)遍路道(へんろみち)

季語と俳句で遍路順路に沿って霊場を巡回する巡礼の風習は、世界各地に広がっている。日本では、四国八十八箇所や、西国三十三所などがある。けれども、「遍路」と言うと、おのずと四国八十八箇所を指し、その巡礼や巡礼者のことを言う。それには、語源となった「辺土」が絡んでいると考えられる。
四国では古くから、修行の地となるような辺境の地を「辺土」と言い表していた。それが、弘法大師信仰とともに、あまねく照らす道という意味の「遍路」に置き換えられた。
遍路は四季を通じて見られるものであるが、昭和初期より、春の季語として認識されるようになった。遍路が増える季節が春であり、この時期、菜の花や桜の花に、死装束を纏う遍路も映える。季語としての確立には、四国出身の高浜虚子の影響が大きかったとも。

四国遍路は、弘法大師ゆかりの寺院八十八箇所を順に巡るもの。空海42歳の厄年(815年)に開創したものとされているが、その巡礼の確立には諸説ある。有名なものに、衛門三郎伝説がある。
衛門三郎は、四国松山の強欲な豪農。托鉢僧の鉢を割って追い払った時から、8人の子どもが次々に亡くなり、その僧が弘法大師だったと気付くに至る。
弘法大師を探し求めて、霊場を20回も訪ね歩いた衛門三郎は、出会えなかったことから逆打ちするも、力尽きて阿波の焼山寺近くで倒れてしまう。その時はじめて弘法大師が現れ、その腕に抱かれた衛門三郎は非礼を詫び、「来世は河野家に生まれ、善を尽くしたい」と願いを述べて死ぬ。弘法大師が衛門三郎と書いた石を握らせ葬ると、翌年、伊予河野氏に子供が生まれた。その子は、左手に衛門三郎と書いた石を握っていたという。
その石を納めた安養寺は、このことをもって石手寺に改める。現在では霊場有数の規模を持つ寺院となっており、その石は一般公開されている。
因みに、石手寺近くの宝厳寺で生まれた一遍も河野氏一族であり、弘法大師を慕って四国巡礼を行っている。なお、四国遍路は死地へ赴くことであり、白い死装束をまとって巡るものとなっている。

現在のような遍路の整備は、室町時代から、庶民に巡礼の流行があった江戸時代にかけて行われたもので、1950年代より観光バスによる巡礼も行われるようになり、身近になることで遍路ブームを巻き起こした。
現在では、海外からの注目度も高く、世界遺産に推す声も高い。霊場中には、弘法大師の生地である善通寺、弘法大師開眼の地に近い最御崎寺、崇徳天皇陵がある白峰寺などがある。
四国遍路は総行程1400㎞。歩いて40日、自転車で20日、車で10日を要する。一番札所は徳島の霊山寺であるが、これは、上方に近い交通事情に因る。

弘法大師の和歌と伝わるものに、「土佐国室戸といふところにて」の前書きとともに、

法性のむろとといへどわがすめば うゐの浪風よせぬ日ぞなき

【遍路の俳句】

道のべに阿波の遍路の墓あはれ  高浜虚子
夕遍路雨もほつほつ急ぎ足  高野素十

季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に

季語|風光る(かぜひかる)

三春の季語 風光る

光る風(ひかるかぜ)

季語と俳句で風光る俳諧歳時記栞草に、初学記の引用で「春晴日出て風吹を光風といふと、云々。これによりていふか。此詞古抄にみえず。」
晴れ上がった春の日に吹く風は、爽やかで光り輝くように感じられる。

【風光るの俳句】

陽炎のものみな風の光りかな  久村暁台
文鳥や籠白金に光る風  寺田寅彦

季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に

季語|春の野(はるのの)

三春の季語 春の野

春野(はるの)

春の野の季語と俳句雪が解けて、草花が芽吹く。春の野は賑やかで、変化が激しい。万葉集にも「春の野」は多く歌われ、山部赤人には

春の野にすみれ摘みにと来しわれそ 野をなつかしみ一夜寝にける

大伴家持には

春の野に霞たなびきうら悲し この夕かげに鶯鳴くも

がある。

【春の野の俳句】

春の野や何に人行き人帰る  正岡子規

季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に

季語|山笑ふ(やまわらう)

三春の季語 山笑ふ

山笑ふ俳句郭煕(1023年?~1085年?)の画論「臥遊録」に、「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如く」とある。これをもとに、「山笑ふ」は春、「山滴る」は夏、「山粧ふ」は秋、「山眠る」は冬。
春の山は、花や木の芽がほころび、小鳥も囀る。山に入れば、相好を崩し、声をあげて笑っている様子を感じ取ることができる。

▶ 関連季語 春の山(春)

筆取てむかへば山の笑ひけり  大島蓼太

季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に

季語|淡雪(あわゆき)

三春の季語 淡雪

淡雪の季語と俳句(国立国会図書館オンライン:つきの百姿しらしらとしらけたる夜の月かけに雪かきわけて梅の花折る公任)春に降る雪は、積ることなくすぐに解けてしまう。
「山の井」「俳諧御傘」などで、「沫雪(あわゆき)」は冬に分類されるが、「俳諧古今抄」に「今按ずるに 淡雪は冬に用ふべき所以なし 雪の斑なる形容は 初雪ともいひ 薄雪ともいはん 春の雪の平白ならんも 日影にちりて淡雪ならむも 寒気の淡和なるゆえなければ 淡雪は決して春と定むべし」。また、「芭蕉翁廿五箇条」の「二季に渡るものゝ事」に、「淡雪は春季もしかるべし 口伝 新古式法あり」。
このように、芭蕉のころまでは冬の事物との認識であったと考えられるが、万葉集には詠み人知らずで

梅が枝に鳴きて移ろふ鶯の 羽白袴にあわ雪ぞ降る

があり、古くは春の認識であったとも言われる。
因みに「淡雪」は儚い雪の意味で「あはゆき」、「沫雪」は泡のような雪の意味で「あわゆき」となる。

▶ 関連季語 春の雪(春)

【淡雪の俳句】

淡雪のつもるつもりや砂の上  久保田万太郎

季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に

季語|遅日(ちじつ・おそきひ・おそひ)

三春の季語 遅日

暮遅し(くれおそし)暮かぬる(くれかぬる)夕永し(ゆうながし)

季語と遅日の俳句春は、日脚がのびて、暮れの遅さを実感するようになる。その春の一日のことを遅日と言い、なかなか沈まない太陽のこともまた遅日という。

【遅日の俳句】

遅き日のつもりて遠きむかし哉  与謝蕪村
黒板の遅日の文字の消し残し  中村汀女

季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に