三春の季語 春
太陽暦では3月から5月まで、陰暦では1月から3月までを春という。二十四節気では、立春から立夏の前日まで。語源は、田畑を「墾る(はる)」からきているという説がある。古今和歌集の紀友則の歌、
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
は、百人一首33番。
紋白蝶(もんしろちょう)・蝶々(てふてふ・ちょうちょう)・胡蝶(こちょう)・黄蝶(きちょう)
同じ蝶でも、「揚羽蝶」は夏の季語となる。蝶のことを新撰字鏡では「加波比良古(かわひらこ)」とし、亡くなった人の魂をも表した。川の近くでひらひら飛んでいたからこの名前がついたと言われ、蝶の古名とされるが、カワトンボとの混同ではないかとも疑われる。
因みに蝶は、奈良時代に唐から入ってきた言葉で、「てふ」と読んだ。万葉集に蝶の歌は載らないが、巻五の梅の歌の序文に1箇所だけ「新蝶」として出てくる。古今和歌集には、僧正遍照の和歌として
散りぬればのちはあくたになる花を思ひ知らずも惑ふてふかな
がある。
薺咲く(なずなさく)・三味線草(しゃみせんぐさ)・ぺんぺん草(ぺんぺんぐさ)・薺の花(なずなのはな)
春の七草のひとつ薺は、「薺」だけだと新春の季語。麦栽培の伝来と共に渡来した史前帰化植物と考えられている。平安時代後期、源俊頼の歌に現れたのが初出か。
君がため夜ごしにつめる七草のなづなの花を見てしのびませ
語源には諸説あるが、夏になると枯れてなくなることから、夏無(なつな)から来たとする説が有力である。生命力の強い植物であることから、「ぺんぺん草が生える」「ぺんぺん草も生えない」は、慣用句として使われる。
すみれ草(すみれぐさ)・一夜草(ひとよぐさ)
在来種である菫は、日本各地に自生。花言葉は、「謙虚」「誠実」。万葉集にも「すみれ」あるいは「つほすみれ」として現れ、古くからすみれ摘みの習慣があったことが伺われる。山部赤人には次の歌があり、菫の別名「一夜草」の語源になった。
春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野を懐かしみ一夜寝にける
スミレの語源は、植物学者牧野富太郎による、大工道具の「墨入れ」に似ていることから「すみれ」となったという説が有名。
万葉集にはすでに春雨が歌われている。よみ人しらずではあるが、
春雨のやまず降る降る我が恋ふる
人の目すらを相見せなくに
などがある。また、嘉永年間 (1848年~1855年) に流行した端唄に「春雨」がある。
春雨にしっぽり濡るる鶯の
羽風に匂う梅が香や
花にたわむれしおらしや
小鳥でさえもひと筋に
ねぐら定めぬ気はひとつ
わたしゃ鶯 主は梅
やがて身まま気ままになるならば
さあ鶯宿梅ぢゃないかいな
さあ何でもよいわいな
春水(しゅんすい)・水温む(みずぬるむ)・春の川(はるのかわ)・水の春(みずのはる)
川や池や水田の水。雪どけや春雨で水かさは増し、次第に温み、命を育む。海水に対して「春の水」を用いることはない。
「水」は、「満つ」からきているという説がある。古事記における水の神・弥都波能売(ミツハノメ)は、火神・迦具土(カグツチ)を生んで陰部を火傷した伊耶那美(イザナミ)の、尿が化成したとある。
春濤(しゅんとう)・春の波(はるのなみ)・春潮(しゅんちょう)・春の潮(はるのしお)
大きいことを表す「う」と水の「み」が結びつき、「うみ」となった。また海は、母なる海として「産み」に結び付けられることもある。
穏やかなイメージのある「春の海」であるが、その表情はゆたか。春一番に始まる嵐で荒れる日がある一方、晩春に近づくにつれ、穏やかな表情を見せることが多くなる。
宮城道雄の箏曲「春の海」は、瀬戸内海をイメージしていると言われている。