季語|露草(つゆくさ)

三秋の季語 露草

蛍草(ほたるぐさ)

露草の俳句と季語ツユクサ科ツユクサ属の一年生植物。古くは月草(つきくさ)と呼ばれており、昼には萎む一日花。蛍草・帽子花・青花の別名もある。
6月から9月頃に、3枚の花弁を持つ花を咲かせる。ふつうに見られるものは青花であるが、白いものもある。

俳諧歳時記栞草には、「鴨跖草(つきくさ)、花を碧嬋花(へきせんか)といふ」とある。食用にされていたことも記されている。
万葉集では「つきくさ」として9首載る。一日花であることや、退色しやすい染料として知られるところから、「消」「移ろい」とともに、儚さの象徴として歌われたものが多い。詠み人知らずの

月草に衣は摺るらむ朝露に 濡れての後はうつろひぬとも

などがある。
月影に咲くと言われ、語源は「月草」だと言われる。それが、朝露と詠まれることを重ねていくうちに、「露草」に転訛した。
をつかまえたときに、一緒に籠の中に入れることが多かったため、「蛍草」とも呼ばれる。

【露草の俳句】

露草のさかりを消えて夜の雲  高桑闌更

▶ 秋の季語になった花 見頃と名所

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季語|鶺鴒(せきれい・つつ・にわくなぶり・まなばしら)

三秋の季語 鶺鴒

黄鶺鴒(きせきれい)

鶺鴒の俳句と季語(生写四十八鷹せきれい水仙)スズメ目セキレイ科の鳥で、日本で普通に見られるのは、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ。ハクセキレイよりも黒っぽいセグロセキレイは、日本固有種として知られる。
「石叩き」「庭叩き」の別名でも知られ、河原などを歩きながら、長い尾を上下する姿が印象的。

「せきれい」の名は、背筋が通ったところから名付けられた中国名「鶺鴒」から来ている。
日本では古くは「つつ」と呼ばれていたと見られ、古事記の神武天皇の求婚時に、妻となる伊須気余理比売(いすけよりひめ)が、

あめつつちどりましとと などさける利目

と、胡鷰鳥(あめ)・セキレイ・千鳥・鵐(しとと)を並べて、天地に掛けて返歌している。
古事記では、「まなばしら」とも読ませており、雄略記の天皇歌の中で、宮廷に仕える人の服装を鶺鴒に例えている。
また、日本書紀の神代上の一書では、鶺鴒を「にわくなぶり」と読ませている。「にわ」は「俄」、「くな」は「尻」、「ふり」は「振る」で、「速く尻を動かす鳥」という意味。陽神と陰神に「交の道(とつぎのみち)」、つまり交合を教えたという。このことから、のちに「おしえどり」とも呼ばれる。
夫木抄には、寂蓮の和歌

女郎花多かる野べの庭たたき さがなき事な人に教へそ

が載る。

【鶺鴒の俳句】

鶺鴒や水の流転はとこしなへ  三橋敏雄

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季語|稲(いね)

三秋の季語 

稲穂(いなほ)稲田(いなだ)

稲の俳句と季語中国南部の長江下流域か、東南アジアが原産地とされるイネ科イネ属の植物「稲」。ジャポニカ種とインディカ種があり、日本で栽培されているのは、ほとんどがジャポニカ種。
小麦やトウモロコシとともに、世界三大穀物とされ、日本では、神話の昔から最も重要な供物・食物であった。それだけに、渡来した時期やルートについて熱く議論されている。以前は、弥生時代のはじまりとともに長江下流域から朝鮮半島を経て渡来したというのが定説だったが、近年の研究で、縄文時代から既に稲作は始まり、朝鮮半島よりも稲作の開始年代は早かったとの見方が強くなっている。

古くから生活に密接に結びついている作物だけに、その分類も多岐に渡る。水稲と陸稲による分類、早稲(わせ)中稲(なかて)晩稲(おくて)という早晩性による分類、白米・黒米・赤米といった色による分類などがある。
品種に至っては膨大な数にのぼり、品種改良により、日々その数を増している。大まかな分類では、コシヒカリなどに代表される一般的な食用種である「うるち米」、アミロースをほとんど含まない「もち米」、山田錦に代表される酒造用の「酒米」がある。

稲穂の時期は地方によって差があるが、概ね8月から10月。9月頃に黄金色に色づいてくる。ただし、南方の二期作を行う地方では、7月と11月に収穫を行うことがある。
穂が出て約40日で収穫期を迎える。

稲の語源には諸説あるが、日本では太古から神と結びついたものとして考えられており、命の元となる意の「息の根(いきのね)」が特に注目される。
「古事記」では、スサノオの項に挿話として稲の起源が記される。それによると、天を追われたスサノオが大気都比売(オオゲツヒメ)に食物を求めたところ、鼻口尻から取り出したために、怒って殺してしまった。その殺された大気都比売の目に、稲種が生ったとある。
万葉集には稲を歌ったものが10首あまり有り、詠み人知らずの和歌

おしていなと稲は搗かねど波の穂の いたぶらしもよ昨夜ひとり寝て

など、恋を歌うものが多い。
よく知られた慣用句には「実るほど頭を垂れる稲穂かな」がある。

【稲の俳句】

稲つけて馬が行くなり稲の中  正岡子規
一里行けば一里吹くなり稲の風  夏目漱石

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季語|霧(きり)

三秋の季語 

夜霧(よぎり)朝霧(あさぎり)霧時雨(きりしぐれ)霧の香(きりのか)霧笛(むてき)

霧の俳句と季語空にあるのは雲で、地上に降りてきたものが霧。大気中の水分が飽和状態に達して、霧となる。
平安時代より、春は霞、秋は霧と呼び分けるようになった。
因みに、「冬の靄」の季語もある「靄」は、霧よりも濃度が低く、1キロメートルから10キロメートルの視界を確保できる。霧は1キロメートル以下。濃霧になれば100メートル以下である。「霞」には距離の定義はなく、春塵を含むイメージ。

「きり」は、動詞「きる」の連用形からきており、「き」は「気」に通じる。
俳諧歳時記栞草では、同じ霧でも「雺(ぼう・きり)」との違いに言及。「爾雅 孫炎註」の引用で「天気下り、地に応ぜざるを雺といふ。地気、天に発して応ぜざるを霧といふ」とある。つまり、空から降りてくるものが「雺」、大地から湧きおこるのが「霧」である。
万葉集には霧の歌が60首ほどあり、坂上郎女は

ぬばたまの夜霧の立ちておほほしく 照れる月夜の見れば悲しさ

と歌った。
古事記には、「霧」に関与する神の名として「狭霧の神」がある。神々誕生の段に、天の狭霧と国の狭霧の神が、大山津見と野椎の神の子として生まれている。

「霧」を含む熟語は多く、「霧散」「五里霧中」などがある。また、「霧の都」と呼ばれるロンドンは霧で有名であるが、日本にも霧で有名な土地は多い。1966年に布施明の歌う「霧の摩周湖」で有名になった摩周湖などがある。

【霧の俳句】

霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き  松尾芭蕉
中天に並ぶ巌あり霧の奥  正岡子規

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季語|菊(きく)

三秋の季語 

白菊(しらぎく・しろぎく)菊日和(きくびより)菊人形(きくにんぎょう)

菊の俳句と季語(東京自慢十二ヶ月)キク科キク属。隠逸花(いんいつか)・陰君子(いんくんし)・星見草(ほしみぐさ)・霜見草(しもみぐさ)・千代見草(ちよみぐさ)の異称も持つ。大きさから、大菊・中菊・小菊に分かれ、大菊の大輪咲きは厚物咲きという。
原産地は中国だと言われ、栽培用に中国で生まれた家菊は、唐の時代より観賞用に盛んに栽培された。日本には平安時代に渡来したと考えられており、「類聚国史」に載る。日本で観賞用につくられたものを和菊、西ヨーロッパで生まれたものを洋菊と呼ぶ。「高貴」の花ことばを持つが、世界各地で墓参・葬儀に用いられる哀愁を帯びた花でもある。

「礼記」に載る「鞠」という黄花植物から、「菊」の字が取られたという。「菊」の文字は、米を一か所に集める様子を示したもので、菊の花びらを米に見立てている。「きく」の語源は漢音にあるという。
中国では長寿延命の薬草とされていて、邪気を祓う魔除けの役割を果たす。旧暦の9月9日重陽は、「菊の節句」と呼び、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わしたりして邪気払いを行っていた。

日本では「類聚国史」に初めて出てくることから、平安時代前期に渡来したと考えられている。和歌においては、古今和歌集のあたりから歌われる。紀友則に

露ながら折りてかざさむ菊の花 老いせぬ秋の久しかるべく

がある。
江戸時代には特に栽培が盛んになり、菊花壇、菊人形など品評会も盛んに開催されるようになった。
また、菊の花を模した菊花紋は、後鳥羽上皇が自らの印としてより、天皇および皇室を表す紋章となった。そして明治2年に、十六八重表菊が正式に皇室の紋章となり、菊は日本を象徴する植物となっている。そんな日本の秋晴れを、菊日和という。

ヨーロッパでは、幕末の日本から持ち込まれた菊が、イギリスから広がっていった。

【菊の俳句】

菊の香や奈良には古き仏たち  松尾芭蕉
ものいはず客と亭主と白菊と  大島蓼太

▶ 秋の季語になった花 見頃と名所

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季語|糸瓜(へちま)

三秋の季語 糸瓜

糸瓜棚(へちまだな)

糸瓜の季語と俳句インド原産のウリ科、蔓性の一年草。奈良時代以前に渡来したとの説もあるが、江戸時代初期に中国から渡来したとするのが通説。
7月から9月に、雌花と雄花に分かれて開花し、8月から10月頃に実をつける。緑陰を得るために植えられることが多い。実は、南九州などでは食用にもするが、繊維質のために、成熟したものをたわしにしたりなどする。また、蔓から出る水は「へちま水」と言って、化粧水にしたり痰切などの薬に使用したりもする。
子規の一連の糸瓜の句は、肺結核に苦しみ、咳止めに糸瓜水を使用したことから生まれている。この糸瓜の句に因み、子規忌は糸瓜忌ともいう。

繊維が多く「いとうり」と呼んでいたのが「とうり」に転訛した。さらに、「とうり」の「と」が、いろは歌の「へ」と「ち」の間にあることから「へち間」となった。
俳諧歳時記栞草(1851年)には秋之部に「布瓜(へちま)」として載る。糸瓜の花は夏之部六月に掲載されている。

▶ 関連季語 糸瓜の花(夏)

【糸瓜の俳句】

をととひのへちまの水も取らざりき  正岡子規

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季語|案山子(かがし・かかし・あんざんし・そおず・そおど)

三秋の季語 案山子

捨案山子(すてかがし)鳥威(とりおどし)

案山子の俳句と季語収穫期の作物を守る目的で置かれる、鳥威のひとつ「案山子」も、近年では田畑で目にすることが少なくなった。その反面、過疎化の進む町村で、町おこしのツールとして用いられたりもしている。

「案山」とは深山と里の境界の構造物のことで、そこに魔除けとして立てた人形を「案山子」と言った。
「かがし」の語源は、節分の魔除け「焼嗅がし」に通じる。臭いで害獣をはらうものとの位置付けである。
また「そおず」と呼ぶ場合は、「添水」の意で、水の力で音を出す鹿おどしからきている。しかしまた、桓武天皇の病気平癒を祈願して大僧都となった僧侶、玄賓に因るとも言われる。案山子のことを玄賓僧都(げんぴんそうず)と呼ぶこともあるが、玄賓の創案によるからとも、続古今和歌集に載る僧都玄賓の和歌

山田守る僧都の身こそあはれなれ 秋果てぬれば問ふ人もなし

から来ているとも。
古事記の少名毘古那神(すくなびこなのかみ)の項では、少名毘古那の名を明かした神・久延毘古(くえびこ)を案山子とする。久延毘古は、山田の曾富騰(そほど)と呼ばれ、「足は行かねども天下のことを尽に知れる神」とされる。現代では、曾富騰を、雨に濡れる意の「そほつ」と解する見方がある。

【案山子の俳句】

名月にけろりと立しかゞし哉  小林一茶

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季語|水澄む(みずすむ)

三秋の季語 水澄む

水澄むの俳句と季語澄み渡った秋空を映し込む水面は、美しい。実際には、台風などで秋の水辺は濁ることが多いが、嵐は、夏場に腐敗した有機物を拡散し、流し去る役目も果たす。
海に関して言えば、秋になって海面付近の海水温が下がることで対流が起こり、海底の水と混ざり合う。これにより、陸地から流れ込んで水面付近に停留していた汚れが希釈され、洗い流されることが知られている。

なお、日本で一番透明度が高い湖は摩周湖。かつては世界一でもあった摩周湖は、当時の半分ほどの透明度に落ちてはいるが、現在でも約20mの透明度を誇り、日本一になっている。

【水澄むの俳句】

洞窟に湛え忘却の水澄めり  西東三鬼
水澄むやとんぼうの影ゆくばかり  星野立子

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季語|蟷螂(かまきり・とうろう)

三秋の季語 蟷螂

いぼむしり・いぼじり

蟷螂の俳句と季語蟷螂目に分類される昆虫の総称で、幼虫から成虫になるまで脱皮を繰り返し、蛹の期間がない「不完全変態」の昆虫。鎌のような前足に特徴がある。その前足は、食物となる昆虫を捕えるためのもので、カッターのように切る機能は有さないが、いかにも切れそうな形態をしていることから、名前の由来は「鎌切」であるとの説がある。
「いぼむしり」の異名もあるが、これは、カマキリでさすれば(あるいは食べれば)イボが取れるという迷信からと言われる。「いぼじり」は「いぼむしり」の転訛と言われるが、体腔内の寄生虫がカマキリの尻から這い出る様が「イボ」のように見える事も、語源のひとつではなかろうか。
日本には10種類ほど生息しており、普通に見られるものにはチョウセンカマキリという和名がついている。他に、オオカマキリ、ハラビロカマキリ、コカマキリなどが広く生息している。
カマキリの行動でよく知られるのが共食いであるが、特に交尾中のオスが、メスによって頭から捕食される様子はよく観察される。カマキリのオスは、雌に比べて身体が小さくて細いため、「カマキリ」は、痩せた人を指す言葉にもなっている。

「蟷螂の斧」と言えば、自らの力をわきまえずに敵に立ち向かっていく様を言うが、これは、斉の荘公が乗る馬車にカマキリが立ち向かって行ったという中国の故事からきている。祇園祭の山車「蟷螂山」もこの故事に因み巡行されるが、南北朝時代に足利義詮軍に挑んだ四条隆資の戦いぶりを「蟷螂の斧」と見て、永和2年(1376年)に蟷螂を乗せたのがはじまりといわれる。

【蟷螂の俳句】

かきよせて又蟷螂の草移り  正岡子規

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季語|草の穂(くさのほ)

三秋の季語 草の穂

草の絮(くさのわた)穂草(ほくさ)

草の穂の俳句と季語イネ科やカヤツリグサ科の中の「草」と呼ばれる雑草は、秋に穂を出すものが多い。その穂は花であり実となるが、やがて綿状になって飛散するものもある。綿の中には種子が含まれ、翌年発芽して勢力を伸ばす。

【草の穂の俳句】

草の穂の埃やあれもこれも過ぎ  加藤楸邨
穂草立つ墳も刈田も雨の音  水原秋桜子

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