初冬の季語 干大根
懸大根(かけだいこん)・大根干す(だいこんほす)
大根は冬の季語である。その大根を収穫して、寒風の中に干したものをいう。11月頃から、畑や田圃に干し棚を作って、そこに1週間程度吊るして水分を抜く。そうしたものは栄養分が濃縮され、甘味などの味わいが増す。
1本丸ごと干すこともあるが、干しあがりを早くするために半分に切ったり、千切りにして天日干ししたりもする。千切りにしたものは「切干大根」と呼ぶ。
干しあがった大根は、沢庵漬などの漬物にしたり、水に戻して煮物などにして食す。
懸大根(かけだいこん)・大根干す(だいこんほす)
大根は冬の季語である。その大根を収穫して、寒風の中に干したものをいう。11月頃から、畑や田圃に干し棚を作って、そこに1週間程度吊るして水分を抜く。そうしたものは栄養分が濃縮され、甘味などの味わいが増す。
1本丸ごと干すこともあるが、干しあがりを早くするために半分に切ったり、千切りにして天日干ししたりもする。千切りにしたものは「切干大根」と呼ぶ。
干しあがった大根は、沢庵漬などの漬物にしたり、水に戻して煮物などにして食す。
バラ科ビワ属ビワは、中国南西部原産で、四国や九州などに自生する。発掘遺物によって、弥生時代には渡来していたと考えられており、正倉院書物には食用にしていた旨の記載がある。ただし、これら野生化していたと見られる枇杷は果肉が少ない。
栽培品種は、中国では2000年以上前からあったとされるが、日本では江戸時代末期に導入されている。日本で栽培されているのは、実がやや長めの「茂木」と丸い「田中」で、この2品種で90%を超える。
「枇杷の花」は11月から12月頃に見られる、芳香がある地味な花である。果実は、「枇杷」として夏の季語になる。
「枇杷」は元は楽器の「琵琶」を指す漢字であったと言われている。5世紀頃に中国で栽培が始まると、その実の形が「琵琶」に似ており、「枇杷」に木偏がつくことから、その地位を奪い、琵琶は「琴」の一種として「琵琶」の字が当てられたという。
枇杷咲いて長き留守なる館かな 松本たかし
花八ツ手(はなやつで)・天狗の羽団扇(てんぐのはうちわ)
ウコギ科ヤツデ属ヤツデは、関東以西の海岸近くの山林などに自生する常緑低木で、日陰でもよく育つ。11月から12月頃に花をつける虫媒花である。葉に白い斑が入った品種など、栽培品種も開発され、庭木として利用されている。
「八手」の名は、掌を開いたような葉の形状からきている。また、その形状から「天狗の羽団扇」とも呼ばれ、魔物を追い払う力があると考えられてきた。
花八ツ手まぢかき星のよく光る 石橋秀野
モクセイ科モクセイ属ヒイラギは、関東以西の山地に自生する雌雄異株の常緑小高木。半日陰を好み、11月から12月頃に、キンモクセイに似た芳香を持つ白い花を咲かせる。
「ひいらぎ」は、葉の刺に触れて痛むことをいう「疼ぐ(ひいらぐ)」が語源になっている。老木になると、葉の棘はとれて丸くなっていく。
節分には、柊の枝に鰯の頭をつけて門戸に掲げ邪気を退散させる。これは、「柊挿す」として節分(晩冬)の季語になっている。
また、古くから邪鬼の侵入を防ぐと言われ、家の表鬼門(北東)に植えられてきた。葉に棘があるため、防犯目的で生垣として植えられることも多い。
ちなみに、クリスマスに用いられる柊は、春に花を咲かせるモチノキ科のセイヨウヒイラギで、このモクセイ科のヒイラギとは別種である。
ヒイラギモクセイという品種もあるが、これはギンモクセイとヒイラギの雑種で、10月頃に花を咲かせる。
柊咲くあとはこぼるるより他なく 加倉井秋を
キク科ツワブキ属ツワブキは、10月から12月頃、福島県以南の海岸近くの岩場や山地などに黄色い花を咲かせる。日陰を好む常緑多年草で、葉が縮れたり、斑が入ったりする園芸品種も開発されている。
葉の形がフキに似ており、艶があることから「つやはぶき」と呼ばれ、それが転訛したとの説がある。この艶のある葉によって、潮風を浴びる海岸部でも生育することができる。
俳諧歳時記栞草(1851年)には冬之部十月に「大茎の花(つはのはな)」として立項され、「一名、山吹といふ」ともある。
九州地方では、3月から4月頃、若い葉柄を食す。島根県津和野町は石蕗が町名の由来となっており、町の花となっている。
石蕗咲いていよいよ海の紺たしか 鈴木真砂女
沖荒れてひかり失なふ石蕗の花 柴田白葉女
ツバキ科ツバキ属チャノキは中国原産で、茶の原料になる。常緑樹で、樹高は10メートルに達することもあるが、栽培変種は作業性を考慮して腰ぐらいの高さに抑えて栽培される。
10月から11月頃に、椿に似た小ぶりの白い花を下向きにつける。ただ、茶葉に栄養を行きわたらせるために花芽を摘み取ってしまうため、茶畑では茶の花を目にする機会はほとんどない。
茶の渡来時期は定かではないが、奈良時代には仏教行事に使用されていることから、それ以前である。鎌倉時代になると、喫茶が習慣化されて栽培が盛んになり、逸出したものが野生化している。ただし、縄文時代の遺跡から茶の実の化石が発見されており、在来種が自生しているとの見解もある。現在飲用されている日本茶の元となるものは、1191年に栄西が中国から持ち帰った種子の子孫で、1955年に静岡県登録品種になった「やぶきた」系統が約9割を占めている。
出雲地方には「ぼてぼて茶」というものがあり、これは茶と茶の花を煮たてて、その中ににぎり飯などを入れて食するものである。
ちなみに、茶席に飾る花のことは「茶花(ちゃばな)」と呼ぶ。季語にはならないので注意が必要である。
茶の花や利休が目にはよしの山 山口素堂
一の酉(いちのとり)・二の酉(にのとり)・三の酉(さんのとり)・熊手市(くまでいち)
11月の酉の日に行われる祭礼に伴う市で、本来は酉の祭の意味で「とりのまち」と発音する。「お酉さま」とも呼ばれる。
11月の酉の日は、2回の年と3回の年があり、初酉を「一の酉」、2番目を「二の酉」、3番目を「三の酉」と言う。「三の酉」まである年は火事が多いとか、吉原遊郭に異変があるなどの俗説があった。
酉の市の縁起物の代表として熊手が知られるが、これは鷲の爪を模したと言われ、福徳を鷲掴みにするという意味が込められている。その他にも縁起物として、頭になって出世すると言われる「頭の芋」、風邪にかからないといわれる「切り山椒」などがある。
酉の市が行われる神社では、東京都台東区の鷲神社が最も有名で、日本最大の酉の市「浅草酉の市」が行われる。11月の酉の日に、日本武尊が戦勝のお礼参りをして、社前の松に武具の熊手を立て掛けたとの社伝がある。
なお江戸時代は、東京都足立区の大鷲神社における酉の市が最も盛んであったが、御祭神を勝負運の神として賭博が行われるために、酉の市では博打が禁止されたという。そのため、吉原遊郭に近かった浅草の鷲神社の方に人が流れたと言われている。
この足立区の大鷲神社が江戸酉の市の発祥となっており、「本酉」と言われる。その酉の市のはじまりは、収穫祭だったと考えられている。
なお、浅草の鷲神社は「新酉」と言われる。酉の市は、主に関東地方を中心とする祭りである。
「酉の市の売れ残り」という、醜女を指す言葉がある。酉の市の夜に大繁盛する吉原で売れ残ってしまう女性を指したとも、酉の市の縁起物の中のお多福の面に絡めたものだとも言われている。
世の中も淋しくなりぬ三の酉 正岡子規
賑はひに雨の加はり一の酉 木内彰志
その冬、はじめて降る雪。本格的な寒さのはじまりを告げるものではあるが、心躍るものもある。
俳諧歳時記栞草には、十月に「初雪、初雪消(はつゆききゆる)」の項があり、「初雪は積らぬさまによめり。故に消るといひても冬なり。」とある。
初雪が降ると群臣が参内する儀式が、桓武天皇延暦11年(792年)11月に始まり、「初雪見参(はつゆきのけんざん)」と呼ばれた。鎌倉時代初期まで行われていた。
万葉集には、大原真人今城の和歌で、
初雪は千重に降りしけ恋ひしくの 多かる我れは見つつ偲はむ
がある。
白居易の「冬夜」には、「策策窓戸前 又聞新雪下」と、窓戸の前で、さくさくと降る新雪の音を聞いたとのくだりがある。
▶ 関連季語 雪(冬)
初雪や水仙の葉のたわむまで 松尾芭蕉
はじめての雪闇に降り闇にやむ 野澤節子