三夏の季語 瀧
国土地理院の定義によると、瀧とは、「流水が急激に落下する場所で落差が5メートル以上、常時水が流れているもの」。形状によって分類がなされており、直瀑や分岐瀑、段瀑、海岸瀑などがある。日本三大名瀑として有名な瀧もあるが、那智滝・華厳滝の2瀑以外は、袋田の滝や白糸の滝が挙げられるなど、定まっていない。
瀧が夏の季語となったのは、近世になってからだと言われている。芭蕉に「しばらくは瀧に籠るや夏の初め」があり、瀧から涼を連想させることはあり、「夏」とゆるく結びついていた。俳諧歳時記栞草では、瀧のそばに造る殿舎を「滝殿」として夏之部六月に分類している。実際に、梅雨や台風の影響で最も水量が多くなり、瀧の力が最大になるのは夏季であり、夏の季語となるのに不備はない。
因みに、水量が最小になる冬には「涸滝」の季語がある。
万葉集にも多くの「瀧」が詠まれているが、この頃には、急流を「瀧」と表現した形跡がある。大石蓑麻呂は、安芸国の長門島で
石走る瀧もとどろに鳴く蝉の 声をし聞けば都し思ほゆ
と歌っている。「たき」の語源も、急流を指す「たぎつせ」、つまり「滾る」であると言われている。
また、万葉集には瀧を垂水(たるみ)と呼んだ歌も掲載されており、こちらの方が、現在の「瀧」を指すのではないかと言われている。いずれも「石走る」の枕詞を伴う。
その内の一首、詠み人知らずのこの歌、
命をし幸くよけむと石走る 垂水の水をむすびて飲みつ
のように、瀧の水には霊力があると信じられており、瀧の水を飲んで若返ったという伝説も各地に残る。
「後漢書」党錮伝に、黄河上流にある竜門を登りきった鯉は竜になるという。「鯉の瀧登り」の語源である。
【瀧の俳句】
瀧落ちて群青世界とどろけり 水原秋桜子
酒のみに語らんかゝる瀧の花 松尾芭蕉

雪の妖怪で、「ユキムスメ」「ユキオンバ」「ユキオナゴ」などと呼ばれることも。「宗祇諸国物語」(西村市郎右衛門:1685年)には、
木瓜の花は春の季語になるが、11月頃から花を咲かせる品種もあり、寒木瓜と呼ぶ。品種には「かんちどり」「かんさらさ」「しののめ」「べにぼたん」などがある。
二十四節気の第1。2月4日ころから2月20日ころの雨水の前日までであるが、一般的にはその初日をいう。冬至と春分の中間であり、季節の決まりごとは、この日が起点となる。立春とは言え、この頃が一年で最も寒さが厳しい。立春を境に、「寒中見舞い」は「余寒見舞い」に切り替わる。
雑節の一つで、各季節の始まりの日の前日のことであったが、江戸時代以降は立春の前日を指すことが普通になった。この日まで大寒であり、一年で一番寒い日の最後の日となる。
冬の夜の寒さは厳しい。現代でこそ暖房設備が整い、室内では快適に過ごすことができるようになったが、かつては、それを如何に遣り過ごすかは生きていく上での課題であった。古い句に、時代の変遷を見るのも面白い。
中国では、草が腐って蛍になると言われており、腐草(くちくさ)とはホタルのことである。晋の政治家・車胤は、生家が貧しく、灯火の油が買えなかったので、蛍の光で書物を読んだ。このことは、雪明りで勉強した孫康とともに「蛍雪の功」の故事となり、日本では「蛍の光」の唱歌になった。
寒さには強い鴉であるが、冬場には集団で森などにねぐらを作る習性があるために、群れで見かけることが多くなる。鴉が集団で帰る夕景が見られるのも、秋から冬にかけてである。
秋の冷気は寂しさを増長し、身に深くしみてくる。後拾遺和歌集に、よみ人しらずの歌が載る。
冬の日の夕方は日没も早いが、冬至が一番日没時間が早いのではない。12月上旬から中旬にかけて、東京では16時30分頃に日が沈む。大阪ではそれより約20分遅く、福岡では東京より約40分遅い。