俳句

季語|白南風(しろはえ・しらはえ・しろばえ)

晩夏の季語 白南風

白栄(しろはえ・しらはえ・しろばえ)

白南風の季語と俳句梅雨時の暗い空に吹く湿った風を「黒南風」というが、それに対して、梅雨が明ける頃、あるいは梅雨明け後に吹く南風を「白南風」という。
黒南風が曇天の風であるのに対し、白南風は好天を予想させる風である。ただし、梅雨の最中に雨が小降りになって、明るくなってきた空から吹いてくる南風を「白南風」と呼ぶこともある。
「白ばえて」と動詞にして使うこともある。

▶ 関連季語 南風(夏)

【白南風の俳句】

白栄やある夜の雲の霽れぎはに  原石鼎

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季語|三伏(さんぷく)

晩夏の季語 三伏

三伏の俳句と季語夏至後の第三庚を初伏、第四庚を中伏、立秋後初めての庚を末伏と呼び、それを総称して「三伏」と言う。七月中旬から八月上旬に当たり、一年で最も暑いころである。
五行思想に基づくもので、金は火に伏せられること(火剋金)から、陽金である庚は、火性を当てられる夏には凶となる。つまり晩夏は、秋の金気が勢いを増しながらも、夏の火気におさえられて伏している状態であり、庚の日にはそれが特に強くなるとする。種蒔き、男女和合など、諸々の行いが慎まれてきた。
酷暑の頃を表す言葉として、手紙などで「三伏の候」「三伏の猛暑」などとして使われてきた。

【三伏の俳句】

三伏の琴きんきんと鳴らしけり  長谷川かな女

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季語|浜木綿(はまゆう・はまもめん)

晩夏の季語 浜木綿

浜万年青(はまおもと)

浜木綿の俳句と季語ヒガンバナ科の常緑多年草で、関東から九州にかけての海岸に、7月から9月にかけて芳香のある白い花を咲かせる。浜芭蕉ともいう。
神道で神事に用いる木綿(ゆう)に似ていることから「浜木綿(はまゆう)」の名がついた。また、葉が万年青に似ることから、「浜万年青」とも呼ぶ。
海岸の砂地に育つが、海流によって種子が運ばれたためである。温暖な地域に育つ植物であり、主に黒潮に乗って分布域を広げてきた。

浜木綿は、古く万葉集にも取り上げられた植物で、柿本人麻呂には

み熊野の浦の浜木綿百重なす 心は思へど直に逢はぬかも

の和歌がある。俳諧歳時記栞草(1851年)には「浜木綿の花」が立項されているが、ここでは秋之部八月に分類されている。因みに、「浜木綿の実」は、秋の季語になる。

【浜木綿の俳句】

雲よりも白き帆船浜木綿咲く  小島花枝

▶ 夏の季語になった花 見頃と名所

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季語|土用鰻(どよううなぎ)

晩夏の季語 土用鰻

土用鰻の季語俳句四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間、つまり、季節の終わりを土用という。「土用」とは、陰陽五行説で、土の気がもっとも働く期間のことである。因みに、春土用は戌の日に「い」のつく食べ物、夏土用は丑の日に「う」のつく食べ物、秋土用は辰の日に「た」のつく食べ物、冬土用は未の日に「ひ」のつく食べ物を食べると良いとされている。

「土用鰻」とは、夏の土用の丑の日に鰻を食べる事。また、食べる鰻のこともいう。この日に鰻を食べることで、夏負けしないと言われる。
古くから滋養強壮に良いと認識されていた鰻は、夏になると食味が落ちるために人気がなかった。そこで平賀源内が一計を案じ、丑の日に「う」のつくものを食べると良いという伝承を利用し、「本日土用の丑の日」と大書して、夏場の鰻屋の窮状を救ったという。また、鰻屋「神田川」に頼まれて、丑の日の鰻の狂歌を歌った太田南畝が、宣伝に一役買ったとの話もある。
青山白峰の「明和誌」(1822年)に、「土用に入、丑の日にうなぎを食す、寒暑とも家毎になす。安永天明の頃よりはじまる」とあり、土用鰻は、18世紀中ごろより一般化したと考えられている。

▶ 関連季語 鰻(夏)

【土用鰻の俳句】

遣り過す土用鰻といふものも  石塚友二

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季語|花氷(はなごおり)

晩夏の季語 花氷

花氷の俳句花を入れて氷をつくり、涼しさを演出する。冷房が普及していなかった時代には、涼をとるために、デパートなどによく置かれた。現在では少なくなったが、装飾目的で置かれたものを、飲食店などで目にすることがある。
氷柱(こおりばしら)も花氷と似たようなもので、冷気を得るための柱状の氷のことで、夏の季語となる。ただし、冬の季語にも「氷柱」があり、これは「つらら」と読む。
日野草城の第1句集に「花氷」(1927年)がある。

【花氷の俳句】

くれなゐを籠めてすゞしや花氷  日野草城

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季語|冷房(れいぼう)

晩夏の季語 冷房

冷房の俳句と季語エアコンやクーラーで室内の空気を冷やすことを冷房という。ちなみにクーラーは冷却専用機器、エアコンは暖房も兼ねた機器のことである。キヤリア社を設立するウィリス・キャリアによって、冷房用機器が発明されたのは1906年。
日本における冷房は、江戸時代の1773年に、加賀藩の前田候が諸大名を接待するに当たって、雪や氷を使って客間を冷やしたことにはじまるとされる。1960年ころより、空調設備を入れるビルが増加し、1973年のオイルショックを経て空調技術も向上した。

【冷房の俳句】

冷房にゐて水母めくわが影よ  草間時彦

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季語|夕顔(ゆうがお)

晩夏の季語 夕顔

夕がほ(ゆうがお)

夕顔の俳句と季語「夕顔の実」は秋の季語であり、かんぴょうの原料となる。「夕顔」ではその花を指し、夏の季語となる。ちなみに、秋の季語となる「朝顔」はヒルガオ科サツマイモ属であるが、「夕顔」はウリ科ユウガオ属である。瓢箪は夕顔の変種である。
実の形によって、細長い「ナガユウガオ」と、丸みを帯びた「マルユウガオ」とに大別される。
夏の夕方に白い花を咲かせるところから夕顔といい、翌日の午前中まで咲いている。北アフリカまたはインドが原産地とされ、古くから日本に渡来していたと考えられている。

清少納言は、花はともかくも、鬼灯に似た実を好ましく思わず、枕草子に、

夕顔は花のかたちも朝顔に似て、言ひ続けたるにいとをかしかりぬべき花の姿に、実の有様こそいとくちをしけれ。などて、さはた生ひ出でけむ。ぬかづきといふ物のやうにだにあれかし。されどなほ夕顔といふ名ばかりはをかし。

とある。このように、かつては卑俗な地位に甘んじていたが、源氏物語で名を上げる。
源氏物語では「夕顔」の巻に、垣根の夕顔に目が留まり出会った女性との話が出てくる。夕顔は、凡河内躬恒の「心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花」を本歌取して和歌を贈り、それに光源氏の返歌がつく。

心あてにそれかとぞ見る白露の 光添へたる夕顔の花
寄りてこそそれかとも見めたそかれに ほのぼの見つる花の夕顔

しかし夕顔は、逢引きした某院で魔物に襲われてはかなく死んでしまう。

【夕顔の俳句】

夕貌や妹見ざる間に明けわたる  高桑闌更
夕がほや月の鏡もまたでさく  横井也有

▶ 夏の季語になった花 見頃と名所

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季語|茄子(なす・なすび)

晩夏の季語 茄子

なすび初茄子(はつなす・はつなすび)

茄子ナス科ナス属。インド東部が原産とされ、隋の煬帝はこれを崑崙紫瓜(こんろんしか)と言った。「茄子の花」とともに、その実は「茄子」として夏の季語となる。延喜式に栽培法が載ることから、奈良時代にはすでに伝来していたと考えられているが、俳諧が盛んになるまで、和歌にその名は見られない。
5月に植え付けた苗は6月中旬から実をつけはじめ、9月まで収穫できる。秋にとれる茄子は「秋茄子」といい、特に美味とされ、秋の季語となる。

品種は多く、世界で1000種、日本でも180種を超え、加茂茄子・丸茄子・長茄子・白茄子などがある。料理方法も多岐にわたり、加熱調理したり漬物にしたりして食す。
文化的には秋との結びつきが深く、盆の「精霊馬」や七夕の「七夕馬」になるほか、「秋茄子は嫁に食わすな」の慣用句もある。
初夢に「一富士、二鷹、三茄子」と言われるが、「茄子」は「成す」に掛けられることがある。また、平凡な人物から天才は生まれないという「瓜の蔓にナスビはならぬ」という慣用句もある。
関西では「なすび」と言うが、これが元の名である。室町時代の女官が「おなす」と呼んだところから、「なす」に転訛した。語源は、夏の実を表す「なつみ」にあるとされる。
表面につやのないものを「ぼけ茄子」と言い、ぼんやりした人を罵る言葉にもなっている。

【茄子の俳句】

うれしさよ鬼灯ほどに初茄子  岩田涼菟
茄子もぐや日を照りかへす櫛のみね  杉田久女

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季語|捕虫網(ほちゅうあみ・ほちゅうもう)

晩夏の季語 捕虫網

捕虫網の俳句と季語夏の季語に「昆虫採集」があるが、文字数が長くなるために俳句になる事は少なく、副題の「捕虫網」がよく使われる。
ヨーロッパでは、昆虫採集は貴族的な趣味であり、大航海時代には、世界中の生物標本を求める博物学から広がった。その流れから、江戸時代の日本にも博物学が導入されるが、昆虫採集が夏の風物詩となったのは近代に入ってからである。特に、「ファーブル昆虫記」が翻訳された大正期以降、夏休みの自由研究として身近な昆虫を取り上げる子供たちが増え、昆虫採集が盛んになっていく。
昆虫採集の対象として人気なのは、カブトムシ・クワガタ・トンボ・チョウ・セミなどである。これらの昆虫をつかまえるために基本となる採集道具が、捕虫網。けれども、走光性などのそれぞれの昆虫の持つ特性を利用して、独自の採集道具をつくることも昆虫採集の楽しみのひとつである。

捕まえた昆虫は、研究の一環として飼育したり標本にしたりすることが普通であるが、かつては製薬のために採集されるものもあった。むしろ、近代以前の昆虫採集の目的は、生活に利用することであり、食用に蜂の子を採取することもまた「昆虫採集」である。
生活利用の面では、虫の声を聞くために、コオロギやスズムシを採集することが平安時代から行われており、江戸時代には「虫売」という商売もあった。ただ、これらの虫は秋を代表するものであり、「虫売」は秋の季語となっている。昆虫採集とは一線を画するものである。

【捕虫網の俳句】

打ちふつて夕日を捉ふ捕虫網  高橋悦男



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季語|花火(はなび)

晩夏の季語 花火

手花火(てはなび)遠花火(とおはなび)

花火の俳句と季語(両こく大花火)盆の鎮魂や秋祭りの奉納として打ち上げられ、秋の季語として扱う場合もあるが、両国の花火が川開きとともに行われたことが全国に広がり、夏の風物詩として定着し、夏の季語となっている。
俳諧歳時記栞草では秋之部に分類され、和漢三才図絵の引用で「熢燧(のろし)に代ふべきもの」としているが、「夏月河辺の遊興」との記述もある。
その種類も多く、観賞用では打上花火・仕掛花火・手花火などのおもちゃ花火に分けられる。

花火のルーツは、6世紀頃の中国の狼煙と言われている。13世紀にヨーロッパに渡り、色と音が加わった。日本で観賞用に花火が用いられはじめたのは、室町時代から戦国時代だと考えられているが、外国人の布教に伴うものである。
現代につながる花火を最初に鑑賞したのは、徳川家康だと言われており、1613年8月にイギリスの国司が駿府城を訪れて披露したとされる(1589年に伊達政宗が米沢城で見た、中国人花火師によるものがはじめてのものだとの説もある)。
江戸時代になると、戦での火薬の使用が減少していくとともに、花火を専門に扱う火薬屋が登場し、おもちゃ花火(手花火)の製造を行った。
流行とともに江戸では火災が頻発したために、17世紀に3回に分けて花火禁止令が出された。その影響で、江戸を追われるように地方に花火が広がっていく。

因みに、1659年におもちゃ花火をはじめて売り出した鍵屋が、現在における日本で最も古い花火業者(宗家花火鍵屋)となっている。鍵屋は1711年に、徳川家宣の命で、初めて隅田川に花火(流星)を打ち上げた。享保18年(1733年)5月28日には、水神祭の両国川開き大花火を創始している。
鍵屋と並んで名の挙がる「玉屋」は、1808年に鍵屋が番頭に暖簾分けして生まれた。両国の川開きでは、両国橋を挟んで上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持ち、鍵屋を凌ぐ勢いがあった。しかし、火事を起こしたために一代で取り潰しとなった。
「花火屋は何れも稲荷の氏子なり」という川柳がある。鍵屋は稲荷神を守護神とし、玉屋に暖簾分けする際に、鍵と玉をそれぞれに持つ眷属にあやかったということを謳ったものである。

日本の花火は美しいと言われるが、その最大の特徴は丸さである。外国の花火玉は筒を用いるのに対し、日本の花火玉は球形なので、打ち上がった時に美しい球となる(現在では、外国の花火も改良が進んでいる)。

【花火の俳句】

ねむりても旅の花火の胸にひらく  大野林火
遠き闇終の花火と知らで待つ  野澤節子

【花火】
花火は、目だけでなく耳でも楽しむもの。だから、最近はやりの音楽などいらない。(YouTube 動画)

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