三春の季語 春眠
春の眠り(はるのねむり)・春眠し(はるねむし)・春睡(しゅんすい)
春の夜の眠りは心地よい。ついつい貪ってしまうもの。
唐の詩人・孟浩然の「春曉」は、あまりに有名。
春眠不覺曉
處處聞啼鳥
夜來風雨聲
花落知多少
「春眠暁を覚えず」である。清少納言は対抗するかのように、「春はあけぼの」と語り始めるが…
【春眠の俳句】
春眠のこの家つつみし驟雨かな 星野立子
春の眠り(はるのねむり)・春眠し(はるねむし)・春睡(しゅんすい)
春の夜の眠りは心地よい。ついつい貪ってしまうもの。
唐の詩人・孟浩然の「春曉」は、あまりに有名。
春眠不覺曉
處處聞啼鳥
夜來風雨聲
花落知多少
「春眠暁を覚えず」である。清少納言は対抗するかのように、「春はあけぼの」と語り始めるが…
春眠のこの家つつみし驟雨かな 星野立子
「鞦韆」と言えば、現在では、座板をぶら下げた揺動系遊具であるが、古くは中国の宮女が使った性的な遊び道具であったとも言われる。唐代には、冬至から105日後に、女性が鞦韆を用いる宮中儀礼があり、玄宗皇帝はそれを仙人となり天に登ることに見立てて、「半仙戯」の名をつけた。
日本では、嵯峨天皇の漢詩に「鞦韆篇」があり、ここにも春に鞦韆を楽しむ女性の姿が歌われている。
「ぶらんこ」の語源には諸説あるが、揺れる様を表す擬態語の「ぶらん」に接尾語「こ」をつけたという説や、ポルトガル語でバランスを意味する「balanço」からきたという説などが有力。「balanço」は、ポルトガルで鞦韆の意味でも使われており「バランソ」と発音する。
北宋の蘇東坡「春夜」は、鞦韆を取り上げたものとして、最も有名。
春宵一刻値千金
花有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜沈沈
「一刻千金」のもとになった漢詩である。
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
鞦韆に腰かけて読む手紙かな 星野立子
篝火花(かがりびばな)・豚の饅頭(ぶたのまんじゅう)
サクラソウ科シクラメン属の多年草。地中海地方が原産。春の季語になっているが、日本では、秋から春にかけて花が咲く。また、クリスマスに合わせて開花するように育てたりするため、どちらかといえば冬のイメージがある花である。
ソロモン王が、王冠にシクラメンをあしらったデザインを取り入れると、シクラメンは恥ずかしさのあまり下を向いたという。このことから、シクラメンの花言葉に「内気」「はにかみ」がある。また、色によっても花言葉は異なり、赤は「嫉妬」、白は「清純」、桃色は「はにかみ」などである。
受粉後に花茎が螺旋状に変化することから、ギリシア語で螺旋を指す「kiklos」 が語源となっている。また、日本では「篝火花」の名があるが、これは、植物学者・牧野富太郎が「篝火のようだ」と言った貴人の言を取り入れたものである。「豚の饅頭」の名は、豚が球根を掘って食べることからつけられた英名の直訳である。
「死」「苦」を連想し、見舞いに持参することは忌まれる。西洋では「アルプスのスミレ」などの呼称がある。
日本には明治初期に入ってきたが、本格的に広がっていったのは、大正時代の末。恵那市に住む伊藤孝重氏の尽力が大きい。その功績は、恵那市をシクラメンの一大産地と成した。
1975年のヒット曲「シクラメンのかほり」から、香りが良い花とのイメージが強いが、本来は無臭か微香性の花である。1996年になって、埼玉県がはじめて、本格的な芳香シクラメンの開発に成功している。
シクラメンをみなの恋の篝とも 小元洋子
アジア内陸部の砂漠などの乾燥地帯の砂塵が、強風で巻き上げられ飛来する。年中起り得る気象現象ではあるが、雪や氷が解け、偏西風が強くなる春、特に4月が最も多くなる。
黄砂の発生場所は、タクラマカン砂漠・ゴビ砂漠・黄土高原などで、そこで発生する砂塵嵐のことを中国語で沙塵暴と言い、特に大きなものは黒風暴という。
殷の時代に用いられた甲骨文字には既に「霾」が出現し、不吉な兆候ととらえられていた。杜甫の「鄭駙馬宅宴洞中」の一節「已入風磑霾雲端(すでに風磴に入りて雲端に霾る)」は、松尾芭蕉「おくのほそ道」の「尿前の関」に「雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ」に取り入れられた。
日本の文献における初出は、「吾妻鏡」 文永3年2月1日(1266年3月16日)「晩に泥の混じる雨降る。希代の怪異なり」とされる。しかし、江戸時代以前はそれほど意識される気象現象ではなかったと見え、俳諧歳時記栞草にも「霾」や「黄沙」などの項目はない。
黄沙降るはるかとなりし旅ひとつ 林十九楼
春の晴天は、長閑。俳諧歳時記栞草には「春色の百花咲乱れ、鳥獣山川までもいろめきて春をかざる意也」とある。
「麗か」は、「明るくほがらかな声の様」や「晴れ晴れとした気持ち」をも指す言葉である。瀧廉太郎の「花」は、「春のうららの隅田川」の歌い出し。これは、源氏物語「胡蝶」の
春の日のうららにさして行く舟は 棹の滴も花ぞちりける
を下地にしている。
長閑な曲調ではないが、「うらら」で始まる1973年の流行曲、山本リンダの「狙いうち」も印象的。
万葉集には大友家持の和歌で
うらうらに照れる春日にひばり上がり 心悲しもひとりし思へば
があり、「うらら」の原型を見ることができる。
「うらら」の語源は「ゆらゆら」にあるという説がある。
うらゝかや女つれだつ嵯峨御堂 正岡子規
スズメ目ウグイス科ウグイス属の、ほぼ全国に分布する留鳥。オリーブ色のその体色は、鶯色と言われる。オオルリ(夏の季語)・コマドリ(夏の季語)とともに、日本三鳴鳥のひとつ。
古くから日本人に親しまれてきた鳥で、初音・匂鳥・春告鳥(はるつげどり)・花見鳥(はなみどり)・歌詠鳥・経読鳥・人来鳥(ひとくどり)・百千鳥(ももちどり)・黄鳥(こうちょう)・金衣公子(きんいこうし)・報春鳥(ほうしゅんどり)・黄粉鳥(きなこどり)・春鳥(はるどり)・禁鳥(とどめどり)などの別名がある。
古今和歌集の仮名序にある「はなになくうぐひす みづにすむかはづのこゑをきけば いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける」に因んで、「歌詠鳥(うたよみどり)」という。
さえずりは「ホーホケキョ」と聞きなし、これはオスの縄張り宣言である。「ケキョケキョケキョ」という谷渡りは、外敵への威嚇。「チャッチャッ」という地鳴きは、笹鳴きと言い、冬の季語になる。
2月初旬から囀りが始まることから、春告鳥の別名があり、気象庁が生物季節観測している。囀りのピークは初夏で、夏鶯の季語もある。
地域間で鳴き方に差異があり、かつて江戸のウグイスは訛っているとして、京都から鶯を取り寄せて鶯谷に放鳥したという。その結果、囀りが良くなったという。
花札の絵柄にもある「梅に鶯」は、取り合わせの良さをいう言葉ともなっており、50首以上で鶯が取り上げられる万葉集にも、小監阿氏奥嶋の和歌で
梅の花散らまく惜しみ我が園の 竹の林に鴬鳴くも
がある。
春告鳥を強調する和歌としては、古今和歌集の大江千里に
鶯の谷より出る声なくは 春くることを誰かしらまし
がある。
また、経読鳥(きょうよみどり)の別名の由来は、囀りを「法、法華経」あるいは「法聞けよ」と聞きなすことにあるが、蓮如上人に「このうぐひすは法ほきゝよとなくなり。されば鳥類だにも法をきけとなくに、まして人間にて聖人のお弟子なり。法をきかではあさましきぞ」の言葉がある。山家集にある西行の和歌にも
鶯の聲にさとりをうべきかは 聞く嬉しさもはかなかりけり
とある。
古くは鳴き声を「ウー、グイ」と聞きなし、鳥の接尾語「す」をつけて「うぐいす」の名前になったという。
「うぐいすの粉」として、江戸時代から美白剤として売られているものには、鶯の糞が使用されている。
臨終の庭に鶯鳴きにけり 青木月斗
鶯の身をさかさまに初音哉 宝井其角
俳句の世界では、春にもえ出る木の新芽のこと。料理界では、サンショウの若芽を「木の芽」と言い、晩春が旬。
古今和歌集に
霞たちこのめもはるの雪ふれば 花なきさとも花ぞちりける
の紀貫之の歌がある。
雪がとけること。また、雪が解けたその水のことも「雪解」という。一般には、雪が解けることは春であり、雪が消えるとすれば冬となる。よって、「ゆきげ」で「雪消」と書けば冬となる場合がある。ただし、古式にのっとれば、「解」も「消」も春となす。
万葉の昔から和歌に歌われ、詠み人知らずの歌に
君がため山田の沢に恵具摘むと 雪消の水に裳の裾濡れぬ
がある。恵具とは「芹」のことであり、ここでの雪消(ゆきげ)は、現代の季語分類に則れば春と読み解くことができる。
対立する二者の間に和解の空気が生じてくることもまた、「雪解」という。
雪解川名山けづる響かな 前田普羅
雪とけて村一ぱいの子どもかな 小林一茶
冬の特徴である西高東低の気圧配置が緩むと、東風が吹きやすくなる。しかし東風はまた、雨を呼ぶ風でもあり、時に「時化ごち」という海上を荒らす嵐となることもある。
東風と言えば、何と言っても
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな
の菅原道真の歌が思い出される。また、万葉集の作者不詳の和歌に
朝東風に井堰越す波の外目にも 逢はむものゆえ滝もとどろに
があり、古くから「こち」と呼ばれていたことが分かる。
「こち」の語源には諸説あるが、中国の「爾雅」に「東風これを谷風(こくふう)といふ」とあり、古い言葉で風のことを「ち」ということから、「こくち」の転訛との説がある。
「谷風」とは、山の斜面が温められることによってできる暖かい上昇気流のこと。日本の春風で先ず挙がるのは「春一番」。春一番が、東西関係なく南寄りの風であることを考えると、東風を春に位置付けたのは中国古典の影響か。
万葉集には、大伴家持の和歌で
東風いたく吹くらし奈呉の海人の 釣りする小船漕ぎ隠る見ゆ
もあり、ここでは「東風」を「あゆのかぜ」と読ませ、注釈に「越の俗語」とある。「あゆ」は「あえ(饗)」の転訛と考えられ、豊穣をもたらす風との認識があったと考えられる。
ただし、「東風」を「あい」「あゆ」「あえ」と読めば夏の季語。通常は「あいの風」と表現する。
夕東風や海の船ゐる隅田川 水原秋桜子
強東風に群れ飛ぶ荒鵜室戸岬 松本たかし