カテゴリー: 仲夏
季語|梅雨(つゆ・ばいう)
仲夏の季語 梅雨
東アジアの雨季。この時期の雨を、旧暦5月の雨という意味で「五月雨」と言って、夏の季語となる。梅雨前線が北上し、日本列島を抜けるまでの約1カ月間、雨が多い天気となる。
気象庁が梅雨入りと梅雨明けを発表するが、特定されない年もある。関東での梅雨入りは6月10日頃、梅雨明けは7月20日頃である。
梅雨入り前に、梅雨と同じような雨が降り、「梅雨の走り」などと呼ぶことがある。また、梅雨の期間に比較的長く雨が降らないことがあり、これを「梅雨の中休み」と呼ぶ。梅雨の晴れ間は「梅雨晴れ」という。
年によって雨の降り方に違いがあり、豪雨を伴う「男梅雨」、しとしとと長雨になる「女梅雨」がある。また、雨が降らない「空梅雨」となることも。
梅雨の始まりを「梅雨入り」「入梅」と呼び、現代感覚では春の終わりと捉えるが、立夏が過ぎて1カ月以上を要しての梅雨入りとなることから、暦の上では仲夏にあたる。夏とはいえ「梅雨寒」「梅雨冷」となり、寒さを感じることも多い。
「梅雨」は中国で生まれた言葉で、梅の実が熟す時期の雨という意。しかし、黴が生えやすいから「ばいう」と呼び、同じ発音の「梅」の字を当てて「梅雨」になったという説もある。
日本に「梅雨(ばいう)」の言葉が伝わったのは平安時代だったと考えられており、万葉の時代には「卯の花くたし」と呼んでいたとも言われている。1687年の「日本歳時記」には「此の月淫雨ふるこれをつゆと名づく」とあり、この頃から、「露」から来たと考えられる「つゆ」の呼称が定着したと見られている。
季語|五月雨(さみだれ・さつきあめ)
仲夏の季語 五月雨
旧暦5月頃に降る雨のことで、夏の季語となる。梅雨とは、五月雨が降る時期のこと。耕作に関与する接頭語「さ」に、「水垂れ」がくっついて「さみだれ」となった。
万葉集に「五月雨」は掲載されず、古今集あたりから出てくるが、和歌における地位を確立したのは西行か。多くの歌が残されており、
橘のにほふ梢にさみだれて 山ほととぎす聲かをるなり
などは、以降の和歌でもしばしば見られるように、「さ乱る」に掛けて用いられている。
「五月雨式」という言葉があるが、継続してものごとを行うのではなく、断続してものごとを進めるやり方である。
【五月雨の俳句】
五月雨を集めてはやし最上川 松尾芭蕉
五月雨や大河を前に家二軒 与謝蕪村
季語|梔子の花(くちなしのはな)
仲夏の季語 梔子の花
アカネ科クチナシ属の常緑低木。いくつかの種類があり、八重の花を咲かせるヤエクチナシもある。6月から7月頃に白い花をつけて、よく匂う。日本を含む東アジアが原産地で、静岡以西に自生するが、現在では園芸用に栽培されることが多い。
「巵」は、古代中国の盃。梔子の実が、その盃の形に似ていることから「梔子」の字を当てたとされる。
秋に実が熟しても、割れないために「口無し」という名がついたと言われる。そのことを題材にしたものとして、古今和歌集に載る素性法師の
山吹の花色衣主や誰 問へど答へずくちなしにして
がある。また、同じく古今和歌集に詠み人知らずで載る
みみなしの山にくちなしえてしかな おもいの色のした染めにせん
は、耳成山の梔子と詠むことで、誰にも知られないということを暗喩している。
これらの和歌に詠み込まれるように、果実は山吹色の着色料として用いられる。この色を「梔子色」「謂はぬ色」と呼んだ。果実は、漢方薬にもなる。ただし「梔子の実」は、秋の季語である。
春の沈丁花、秋の金木犀と並ぶ三大香木に数え上げられる。その香はジャスミンにも似ることから、イギリスでは「ケープジャスミン」と呼ばれる。
1973年から1974年にかけて、渡哲也の歌う「くちなしの花」が大ヒットした。この曲のヒットとそのネーミングから、日本では寂しげなイメージで語られがちな花であるが、花言葉は「喜びを運ぶ」「優雅」「洗練」。欧米では、プロポーズに女性に捧げる花ともなる。
【梔子の花の俳句】
くちなしの淋しう咲けり水の上 松岡青蘿
季語|栗の花(くりのはな)
仲夏の季語 栗の花
ブナ科クリ属の栗。雌雄異花で、5月から6月に、雄花は穂状、雌花は毬状の白い花をつける。花は地味であるが、雄花は独特の臭いが印象的で、男女の交わりに掛けて詠まれる俳句もある。
このブナ科特有の臭いは、スペルミンという人間の精液にも含まれる物質に起因する。
季語|百合(ゆり)
仲夏の季語 百合
鬼百合(おにゆり)・山百合(やまゆり)・笹百合(ささゆり)・姫百合(ひめゆり)・鉄砲百合(てっぽうゆり)・車百合(くるまゆり)
ユリ目ユリ科ユリ属の多年草で、その花季から夏の季語となる。日本ではヤマユリ・ササユリ・テッポウユリなど、7種ほど特産種がある。園芸種も含め、5月から8月頃に開花し、球根は食用や薬用として活用される。
キリスト教の復活祭には、「イースターリリー」が登場する。かつては、マリアの純潔の象徴として、純白のマドンナリリーが使用されていたが、シーボルトが日本から持ち帰ったテッポウユリがそれに代わったという。
花が風に揺られる様から、「揺り」を語源とする説がある。英語での「Lily(リリー)」は、ラテン語の「līlium(リーリウム)」から来ているとされ、「ユリ」に近い発音を持つことは興味深い。
「ユリ」の名は、古くは高麗百済から伝わったと言われているが、既に古事記(神武天皇記)には、「山百合草(山由理草)」の名がある。その条によると、山百合草の元の名は「佐韋(さゐ)」であったとされる。
一説には、神武天皇の皇后であるイスケヨリヒメの家が佐韋河の上にあったことから、イスケヨリヒメの名から「ヨリ」と呼ばれていたものが、転訛して「ユリ」の名になったとも。
日本書紀(皇極天皇紀)には、「其の茎の長さ八尺。其の本異にして末連へり」とある。一般に、この球根の形から「百合」の文字が当てられたとされる。
万葉集には「百合」として10首ほどの中に現われ、接頭語をつけて「さゆり」となるものもある。紀朝臣豊河の
我妹子が家の垣内のさ百合花 ゆりと言へるはいなと言ふに似る
のように、「後ほど」という意味の「ゆり」とともに用いられることが多い。
「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言って、美女を形容する言葉にも使用される。
新約聖書には「ソロモンの栄華もユリに如かず」とあるが、人間の作り上げたものは神の創造物には及ばないことの比喩である。
また「百合」は、女性の同性愛を指す言葉としても知られている。
【百合の俳句】
花をやれとかく浮世は車百合 西山宗因
季語|紅粉の花(べにのはな)
仲夏の季語 紅粉の花
紅藍花(べにばな)・紅花(べにばな)・紅の花(べにのはな)・末摘花(すえつむはな)
エジプト原産、キク科ベニバナ属の一年草。末摘花(すえつむはな)とも呼ぶ、夏の季語となる花。日本には3世紀に呉から渡来してきたと考えられており、「呉藍(くれのあい)」「久礼奈為(くれない)」などと呼んだ。
染めた衣類は色落ちしやすいことから、紅花は「うつろう」「はかない」に結びつく。大伴家持が、その移ろい易さを橡と比較した和歌が、万葉集に載る。
紅はうつろふものぞ橡の なれにし来ぬになほしかめやも
紅花からとれる紅は、「紅一匁金一匁」と言われるほどに高価で、江戸時代の産地だった最上川流域を潤した。今では中国産に押され生産量は減ったものの、紅花は山形県の県花に指定されている。山形県では、紅花が咲く7月上旬に、「べにばな祭」が開催される。
紅花は、染料以外にも用途が広い。乾燥させた花は紅花(こうか)と呼ぶ、血行促進作用がある生薬にする。小町紅と呼ぶ口紅も製造された。紅花の種子を搾れば、紅花油にもなる。
【紅粉の花の俳句】
まゆはきを俤にして紅粉の花 松尾芭蕉
季語|菖蒲(あやめ・しょうぶ)
仲夏の季語 菖蒲
花菖蒲(はなしょうぶ・はなあやめ)・菖(しょうぶ)・あやめ草(あやめぐさ)・燕子花(かきつばた)・杜若(かきつばた)
日本人が最も混同している植物が、アヤメとショウブ。どちらも漢字で「菖蒲」と書き、夏の季語となる。
しかし、両者は全く別の植物で、アヤメはユリ目アヤメ科、ショウブはオモダカ目サトイモ科となる。葉の形状が似ているための混同だが、花は全くの別物。アヤメが紫や白などの大きな花弁をつけるのに対し、ショウブの花は蒲の穂のようで地味。
アヤメの名は、花弁基部の文目模様からきた名称とも言われており、本来は「文目」と表記すべきか。
中国から「端午の節句」を取り入れた時に、自生していたアヤメと、行事で使用されるショウブとの混同が起こったと見られ、以降、ショウブのことを「あやめ草」と呼ぶようにもなったという。
さらに話をややこしくしているのが、中世から園芸栽培が盛んになったハナショウブの存在。ショウブと名はつくが、アヤメ科に属し、アヤメと違わぬ美しい花をつける。
因みに、アヤメ科の植物であるアヤメ・ハナショウブ・カキツバタは見分けがつきにくいが、それぞれ花弁の基部に特徴が現われる。アヤメは文目模様、ハナショウブは黄色、カキツバタは白色の斑紋が入る。また、アヤメは乾いた土地を好むのに対し、ハナショウブ、カキツバタは湿地を好む。
ショウブ
サトイモ科ショウブ属ショウブ。池や川などに生える多年生の草本で、5月から7月頃に棒状の肉穂花序をつける。菖蒲湯として用いられるのはこちら。また、「万葉集」に歌われた「あやめぐさ」も、この菖蒲のことだと考えられている。
ハナショウブ
アヤメ科アヤメ属ノハナショウブの園芸品種。6月頃に白・紫・黄花などの花を咲かせる。花弁の付け根が黄色いのが特徴。江戸時代に盛んに育種改良された古典園芸植物で、江戸系・伊勢系・肥後系・長井古種の4系統、約5000種がある。
カキツバタ
アヤメ科アヤメ属カキツバタ。5月から6月頃に紫色の花を咲かせる(白い品種もある)。花弁の付け根に白い筋が入る。アヤメ属3種の中で最も湿地を好み、水中にも生える。「いずれ菖蒲か杜若」とよく言うが、育つ場所である程度は見分けがつく。
アヤメ
アヤメ科アヤメ属アヤメ。5月頃に紫色の花を咲かせる(白い品種もある)。花弁の付け根に網目模様があるのが特徴。ハナショウブやカキツバタに比べて、乾燥した場所を好み、山野の草地に自生する。
● 俳諧歳時記栞草での菖蒲
俳諧歳時記栞草では、「花菖蒲」と書いて「はなしょうぶ」、「紫羅襴花」と書いて「はなあやめ」、「杜若」と書いて「かきつばた」と読ませる。菖蒲に関しては、菖蒲酒など「あやめ」と読ませるものが12項、「しょうぶ」と読ませるものが「花菖蒲」「菖蒲刀」2項である。
● 万葉集での「あやめぐさ」
万葉集には「あやめぐさ」を取り上げたものが10首あまり有り、田辺福麻呂の
霍公鳥いとふ時なしあやめぐさ かづらにせむ日こゆ鳴き渡れ
のように、ホトトギスとともに歌われたものが半数を占める。当時は、5月5日にショウブを束ねて頭に巻いていたと見え、ここに歌われているのは、美しい花を咲かせる菖蒲ではなく、サトイモ科のショウブのことだと考えられている。
● 和歌に歌われた杜若
万葉集には杜若を歌った和歌が7首あり、大伴家持が
かきつばた衣に摺り付け大夫の 着襲ひ猟する月は来にけり
と歌ったように、摺染に用いられたことが知られている。
古くから杜若の名所として知られた三河八橋は、伊勢物語に
からごろもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもふ
と歌われた場所で、この和歌は折句の名歌として知られている。
● 菖蒲に関する雑学
ショウブは、本来「白菖」の字があてられる。古代中国では、邪気の満ちると言われた5月に、葉の形が刀に似て、邪気を払うと考えられた芳香がある菖蒲を用い、「女性の節句」と言われた「菖蒲の節句」を祝った。それが日本に伝わる中で「尚武」に通じ、「男の子の節句」に変わったという。
「かきつばた」は「書き付け花」の転訛で、染料にしていたところに語源がある。
【菖蒲の俳句】
あやめ草足に結ん草鞋の緒 松尾芭蕉
季語|苔の花(こけのはな)
仲夏の季語 苔の花
維管束のない植物・蘚苔類(蘚類・苔類)のことを一般にコケと呼ぶが、鑑賞用に用いられるのは苔類。その苔類にもいろいろな種類があり、苔寺などでよく見られるのは、スギゴケ、ヒノキゴケ、シラガゴケ。
コケは、はじめて地上に上陸した植物。約5億年前に上陸したコケは、空中の酸素量の増加に寄与した。
コケは、薄暗い湿気の多い環境を好むと考えられているが、苔類は乾燥にも意外と強い。また、光合成を行うため、光を必要とする存在でもある。「苔の花」と呼ばれるものは、苔類の胞子嚢である蒴のこと。春か秋に蒴が見られる種類が多いが、苔類が雨季に映えるために、夏の季語となる。
このところの苔ブームで、特に人気が高いのは「タマゴケ」の蒴で、その目玉おやじのような姿は、「たまちゃん」の名で親しまれている(画像参照)。
日本において苔は、古くから悠久の時を刻むものとして親しまれており、万葉の時代から「苔生す」の表現がよく使われている。特に有名なのは、「君が代」のもととなった古今和歌集の詠み人知らずの歌
我君は千世に八千世にさゝれ石の 巌となりて苔のむすまで
であろう。
【苔の花の俳句】
苔咲くや親にわかれて二十年 村上鬼城
季語|蛍(ほたる)
仲夏の季語 蛍
中国では、草が腐って蛍になると言われており、腐草(くちくさ)とはホタルのことである。晋の政治家・車胤は、生家が貧しく、灯火の油が買えなかったので、蛍の光で書物を読んだ。このことは、雪明りで勉強した孫康とともに「蛍雪の功」の故事となり、日本では「蛍の光」の唱歌になった。
日本で主に見られる蛍は、ゲンジボタルとヘイケボタル。ゲンジボタルはヘイケボタルより大型で、5月から6月頃の清流で、光る様子が見られる。一方ヘイケボタルは、田圃など比較的身近なところで発生し、4月から10月頃見られる。秋蛍の季語になるのはヘイケボタルの方で、弱々しい光が、より郷愁をさそう。
ホタルの語源については諸説あるが、「ホ」は「火」、「タル」は「垂れる」「照る」だという説が有力。古くから親しまれてきた昆虫で、死者の霊魂とされることがある。万葉集巻十三の作者不詳の長歌は、「ほのか」の枕詞として「蛍なす」という詞に現れ、帰らぬ夫を待つ歌になっている。
源氏物語第25帖「蛍」には、玉鬘の歌として
声はせで身をのみこがす蛍こそ いふよりまさる思ひなるらめ
が載る。
なお、ゲンジボタルには、平家打倒を果たせず宇治川の戦いに散った、源頼政の無念が乗り移っていると言われている。後に平家打倒を果たした源氏であるが、敗れた平家に見立てて、小さい方をヘイケボタルと呼んだとも。源頼政の辞世は
埋木の花咲く事もなかりしに 身のなる果はあはれなりける
である。
【蛍の俳句】
初めての蛍水より火を生じ 上田五千石
もえやすく又消えやすき螢哉 向井千子