三秋の季語 秋風
秋の風(あきのかぜ)・あきの風(あきのかぜ)・金風(きんぷう)・色なき風(いろなきかぜ)・爽籟(そうらい)
秋が五行説の金行にあたるので「金風」ともいう。その爽やかな響きを爽籟という。「飽き」に掛けて、男女間の愛情が冷めることにもたとえられる。万葉集には「秋風」を詠んだ歌が60首あまりあり、大伴家持は夫人を亡くしてひと月経って、
うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも
と歌った。芭蕉の句「物いへば~」は、半ば慣用句。
秋の風(あきのかぜ)・あきの風(あきのかぜ)・金風(きんぷう)・色なき風(いろなきかぜ)・爽籟(そうらい)
秋が五行説の金行にあたるので「金風」ともいう。その爽やかな響きを爽籟という。「飽き」に掛けて、男女間の愛情が冷めることにもたとえられる。万葉集には「秋風」を詠んだ歌が60首あまりあり、大伴家持は夫人を亡くしてひと月経って、
うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも
と歌った。芭蕉の句「物いへば~」は、半ば慣用句。
芒(すすき)・薄(すすき)・花すすき(はなすすき)・穂芒(ほすすき)・乱れ草(みだれぐさ)・尾花(おばな)・叢薄(むらすすき)
イネ科ススキ属の植物。「茅(かや)」と呼ばれ、茅葺屋根の材料となる。万葉集には44首歌われていると言われ、「すすき」「をばな」「草(かや)」「み草」として出てくる。「すすき」として歌われる場合、しばしば「ハダススキ」として現れるが、この「ハダ」は「旗」のことだと言われ、「穂に出ず」の枕詞となる。
はだすすき穂にはな出でそ思ひたる心は知らゆ我れも寄りなむ よみ人しらず
我が宿の尾花が上の白露を消たずて玉に貫くものにもが 大伴家持
「すす」は「ささ」と同義で細いことを表し、「すすき」は「細い茎」の意だとされる。
秋に渡って来る羽の色の美しい小鳥。また、秋に渡ってくる「色々な鳥」の意ともいう。
俳諧歳時記栞草(1851年)にも、秋之部八月に分類され、「いろいろ秋わたる小鳥をいふ」とある。
▶ 関連季語 小鳥(秋)
秋空(あきぞら)・天高し(てんたかし)・秋天(しゅうてん)・秋晴(あきばれ)・秋澄む(あきすむ)・澄む(すむ)・月白(つきしろ)・秋高し(あきたかし)
「女心と秋の空」あるいは「男心と秋の空」と言うように、意外にも秋の空は変わりやすく、雨や曇天になることが多い。そして、梅雨時よりも日照時間は短いというデータもある。しかし、晴れると爽やかな空が広がり、その澄みきった空を秋晴という。
空は、見上げる時に身体を反らすから「そら」とよばれるようになったとの説がある。なお、山幸彦で知られる天孫・日子穂穂出見を虚空津日高(そらつひこ)と呼ぶが、古くは、天と地上の間にある場所を虚空(そら)と呼んでいたと思われる。
月白(つきしろ)・月光(げっこう)・月影(つきかげ)・月明(げつめい・つきあかり)・月下(げっか)・昼の月(ひるのつき)・月の秋(つきのあき)・月待ち(つきまち)
単に「月」といえば三秋の季語。名月ならば仲秋の季語。俳諧とつながりのある連歌・連句では、秋の月と春の花は特別視され、月には「月の定座」として月の句を詠みこまなければならない箇所がある。詠み込まれる「月」には、秋の清けさを映す。
万葉集の時代から「月」は数多く歌われていたが、特に額田王の歌と言われている
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
は有名。また、月が出ようとしている東の空の明るさを、月白と言って愛でる。
月の語源は、太陽の次に明るいことから次(つく)が変化したものだと言われている。なお、古事記で月の神は三貴神に数え上げられ、イザナギの左目から生まれた太陽神アマテラスの次に、右目からツクヨミとして生まれている。
月を語源とする「時(とき)」や「憑く(つく)」などの言葉もある。
▶ 関連季語 名月(秋)
浮世の月見過しにけり末二年 井原西鶴
ふるさとの月の港を過るのみ 高浜虚子
秋の潮(あきのしお)・秋潮(しゅうちょう)・秋の波(あきのなみ)・秋の浜(あきのはま)
大きいことを表す「う」と水の「み」が結びつき、「うみ」となった。また海は、母なる海として「産み」に結び付けられることもある。
同じ蜻蛉でも、糸蜻蛉や川蜻蛉、早苗蜻蛉は夏の季語となる。また、「蜻蛉生る」も夏の季語である。トンボの古名とされることから、「カゲロウ」にも蜻蛉の字をあてるが、現在ではカゲロウ目の昆虫を指し、トンボ目の昆虫とは全く異なる。
蜻蛉の幼虫は水生で、水蠆(ヤゴ)と呼ばれ、夏の季語になっている。
日本のことを秋津洲(あきつしま)とも言うが、これは、日本書紀神武天皇三十一年夏四月に腋上の嗛間丘(国見山)に登られた神武天皇が「内木綿の真迮き国といへども、猶し蜻蛉(あきつ)の臀呫の如くあるかな」と述べたことによる。日本のことを、トンボの尾繋がりのようだと表現されたのである。
また、日本書紀雄略天皇四年秋八月、吉野宮行幸の折、河上の小野で雄略天皇の腕にたかった虻を蜻蛉がさらって行ったことから、これを誉めて「…その虻を蜻蛉はや囓ひ昆ふ虫も大君にまつらふ汝が形は置かむ蜻蛉嶋倭」とも歌われている。このように勇猛に天皇に従う様を以て蜻蛉嶋とするという異説もある。
古くは「トンボウ」と呼ばれていたことから、「飛ぶ棒」が語源なのではないかと言われている。
▶ 関連季語 やんま(秋)
赤とんぼ筑波に雲もなかりけり 正岡子規
行く水におのが影追ふとんぼかな 加賀千代女