投稿者: uranari
季語|河骨(こうほね・かわほね)
仲夏の季語 河骨
スイレン科コウホネ属の多年生の水草で、ナガバコウホネや、萼片が赤いベニコウホネなどがある。日本固有種で、北海道から九州の、水深が浅い湖沼や河川や水路などに生育するが、現代では分布域が縮小し、絶滅危惧種に指定されている地域も多い。
花期は5月から10月で、地下茎から水上へと伸びた花柄の先に、5センチくらいの黄色い花を咲かせる。地下茎を乾燥させたものは川骨(せんこつ)と呼び、止血や利尿効果などがある生薬となる。
河骨の名の由来は、水中の白い地下茎が骨のように見えるところにあると言われる。俳諧歳時記栞草(1851年)では夏之部五月に分類され、「萍蓬」の字が当てられている。
観賞用に栽培されたり、生け花に用いられたりもする。
【河骨の俳句】
河骨や終にひらかぬ花盛 山口素堂
季語|柏餅(かしわもち)
初夏の季語 柏餅
5月5日の端午の節句に供物とする、柏の葉で餡餅を包んだ和菓子。柏の葉は、新しい葉が茂るまでは枯れ葉が落ちないことから、子孫繁栄の願いが込められる。
柏餅は江戸時代中期に関東で生まれたもので、関西では柏の葉が入手しにくかったことから、猿捕茨(さるとりいばら)の葉で代用される。因みに、俳諧歳時記栞草(1851年)では「畿内には、さのみ用ひぬ事なり」とある。
「かしわ」は本来、ブナ科のカシワを指す「槲」の文字が当てられるべきであり、俳諧歳時記栞草にも「槲餅」とあるが、現在では専ら、ヒノキ科のコノテガシワを指す「柏」が使われるようになった。
「かしわ」の語源には、「炊葉(かしきは)」があり、元は、食べ物を包むのに使われた葉のことを指した。
【柏餅の俳句】
てのひらにのせてくださる柏餅 後藤夜半
季語|春塵(しゅんじん)
三春の季語 春塵
穏やかなイメージが強い春ではあるが、実際には風が強い日が多く、埃っぽい日が多い。この、春にたつ埃を「春塵」と言う。春の季語である「霞」は、植物の成長や春雨などによる空気中の水分の上昇のために発生するとされることが多いが、この「春塵」も重要な発生要因となっている。
なお春塵は、冬場の乾燥と春の強風が2大発生要因である。
つまり、春になると南北の温度差から、強風が吹きやすくなる。冬場に乾燥していた地域では、その強風に伴って砂埃が舞い上がりやすい。また、偏西風が強くなる春には黄沙も飛来して、埃っぽくなるのである。
空が黄色くなるほどの激しい春塵は「黄塵」とも言うが、「黄塵」はまた、世間の煩わしさのことをも指す。
季語|残花(ざんか)
季語|大根の花(だいこんのはな)
晩春の季語 大根の花
アブラナ科ダイコン属の越年草「大根」の花は、白や薄紫の四弁花である。冬の季語になる秋まきされた「大根」を放っておくと、4月から5月ころに、春の季語になる「大根の花」を咲かせる。花が咲いてしまうと、根の部分に鬆(す)が入り、食用にならなくなる。
アブラナ科の植物にハナダイコンという種類もあるが、花期や形状はよく似ているものの、大根とは別のハナダイコン属となり、根は食べられず、葉や花を食す。
俳諧歳時記栞草(1851年)には、「大根の花」で春之部二月に分類されている。
▶ 関連季語 大根(冬)
季語|流氷(りゅうひょう)
仲春の季語 流氷
海に浮かび、漂流している氷のことで、日本では北海道のオホーツク海の流氷が有名で、北海道沿岸から確認できた最初の日を「流氷初日」という。平年では1月中旬から下旬となり、3月下旬から4月上旬となる「流氷終日」まで北海道沿岸から流氷が見られる。ちなみに、着岸した「定着氷」は流氷に含まれない。
このオホーツク海の流氷は、アムール川の河口付近で生じたものが、成長しながら北海道へ南下してくるもので、北半球における流氷の南限になっている。
流氷は、動物の生態にも大きく関わり、アザラシやキタキツネの移動やプランクトンの増殖を助けている。また、ぶつかり合う流氷は豪快で、北海道の貴重な観光資源になっている。
江戸時代には「氷流る」と詠んだ句もあるが、「流氷」とは別物で、山野の氷が川の流れなどで動き出すことをいった。「流氷」が季語として定着したのは、大正末期に山口誓子が樺太での生活を振り返って詠んだ「流氷や宗谷の門波荒れやまず」が注目されてからである。
季語|西行忌(さいぎょうき)
仲春の季語 西行忌
陰暦2月15日。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人として知られる西行の俗名は佐藤義清で、元は北面武士として鳥羽上皇に奉仕し、弓馬の達人だったとされる。保延6年(1140年)10月、友人の急死、あるいは失恋のために出家し、西行法師と号して各地を旅した。
「新古今集」には第1位となる94首が入撰している。家集に六家集のひとつに数え上げられる「山家集」などがある。有名な和歌に
ねかはくは花のしたにて春しなん そのきさらきのもちつきのころ
があり、この歌のまま釈迦入滅の2月15日に亡くなったと俳諧歳時記栞草(1803年)などに記されるが、実際には文治6年2月16日(1190年3月31日)没。
日本三大俳諧道場の一つとされる神奈川県中郡大磯町の「鴫立庵」は、西行が奥州下りの折
心なき身にもあはれはしられけり 鴫立つ澤の秋の夕ぐれ(新古今集)
と歌ったことにより、寛文4年(1664年)に崇雪が草庵を結び、元禄8年(1695年)に大淀三千風が第一世庵主となって繋いできたもの。
【西行忌の俳句】
今日ばかり花も時雨よ西行忌 井上井月
季語|古草(ふるくさ)
季語|芹(せり)
三春の季語 芹
春の七草の一つで、セリ科の多年草で、「白根草(しろねぐさ)」の別名も持つ。日本原産で湿地を好み、畦などに自生する芹を「山ぜり」「野ぜり」、水田で栽培されているものを「田ぜり」、畑で栽培されているものを「畑ぜり」という。強い芳香を持つ。8月頃に、白い小さな花をたくさんつける。
旬は1月から3月で、春の七草として七草粥に使われるほか、鍋や炒め物、和え物などにも用いられる緑黄色野菜である。
同じセリ科植物に日本三大有毒植物のドクゼリがあり、形状がよく似ているので注意が必要である。
「俳諧歳時記栞草」(1851年)では、正月兼三春物に分類し、「水旱及び赤白の二種有。水芹は水中に生じて根多く、旱芹は平地に生じて根少し。赤芹は味悪くして用ひず、白芹は味美にして常用す」とある。
古くから和歌にも詠まれ、万葉集には葛城王と薛妙観命婦の間に贈答歌がある。
あかねさす昼はたたびてぬばたまの 夜の暇に摘める芹こそ 葛城王丈夫と思へるものを太刀佩きて かにはの田居に芹ぞ摘みける 薛妙観命婦
競り合うように群生して伸びることから、語源は「競り」にあると言われている。
【芹の俳句】
我がためか鶴はみのこす芹の飯 松尾芭蕉
我事と鯲のにげし根芹かな 内藤丈草