三春の季語 春の水
春水(しゅんすい)・水温む(みずぬるむ)・春の川(はるのかわ)・水の春(みずのはる)
川や池や水田の水。雪どけや春雨で水かさは増し、次第に温み、命を育む。海水に対して「春の水」を用いることはない。
「水」は、「満つ」からきているという説がある。古事記における水の神・弥都波能売(ミツハノメ)は、火神・迦具土(カグツチ)を生んで陰部を火傷した伊耶那美(イザナミ)の、尿が化成したとある。
春水(しゅんすい)・水温む(みずぬるむ)・春の川(はるのかわ)・水の春(みずのはる)
川や池や水田の水。雪どけや春雨で水かさは増し、次第に温み、命を育む。海水に対して「春の水」を用いることはない。
「水」は、「満つ」からきているという説がある。古事記における水の神・弥都波能売(ミツハノメ)は、火神・迦具土(カグツチ)を生んで陰部を火傷した伊耶那美(イザナミ)の、尿が化成したとある。
雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間を彼岸と言い、秋分を中日とするものを秋彼岸、あるいは後の彼岸と呼ぶ。単に「彼岸」ならば、春の彼岸を指す。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と言う。お彼岸にはお墓参りをし、おはぎを先祖に供え感謝し、極楽往生を願う。
真西に太陽が沈む春分・秋分に、遙か西方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まり。大同元年(806年)、日本で初めて彼岸会が行われた。なお彼岸の行事は、インドや中国の仏教にはなく、日本独自のものだとされる。
語源は、サンスクリット語の Pāramitā つまり「波羅蜜」にあるとされ、これを意訳した「至彼岸」が元となっている。迷いや煩悩を川にたとえ、その向こうの涅槃を目指すもの。
秋空(あきぞら)・天高し(てんたかし)・秋天(しゅうてん)・秋晴(あきばれ)・秋澄む(あきすむ)・澄む(すむ)・月白(つきしろ)・秋高し(あきたかし)
「女心と秋の空」あるいは「男心と秋の空」と言うように、意外にも秋の空は変わりやすく、雨や曇天になることが多い。そして、梅雨時よりも日照時間は短いというデータもある。しかし、晴れると爽やかな空が広がり、その澄みきった空を秋晴という。
空は、見上げる時に身体を反らすから「そら」とよばれるようになったとの説がある。なお、山幸彦で知られる天孫・日子穂穂出見を虚空津日高(そらつひこ)と呼ぶが、古くは、天と地上の間にある場所を虚空(そら)と呼んでいたと思われる。
冬満月(ふゆまんげつ)・寒月(かんげつ)・月冴ゆ
単に「月」といえば秋。
月の語源は、太陽の次に明るいことから次(つく)が変化したものだと言われている。なお、古事記で月の神は三貴神に数え上げられ、イザナギの左目から生まれた太陽神アマテラスの次に、右目からツクヨミとして生まれている。
神有月(かみありづき)・神在月(かみありづき)・神の留守(かみのるす)・神の旅(かみのたび)・神迎(かみむかえ)・神還(かみかえる)
旧暦十月は、全国の神様が大国主が祀られる出雲大社に集結するとされ、神様が留守になることから神無月という。反対に出雲では神有月、神在月という。出雲大社では、縁結びの相談が行われているという。平安時代には既に定着していた説であるが、本来は「神の月」という意味の「神な月」から来ていると言われている。俳諧歳時記栞草には、荷田東麻呂翁の「雷無月」が語源という説も載せる。
十五夜(じゅうごや)・三五の月(さんごのつき)・月見(つきみ)・今日の月(きょうのつき)・望月(もちづき)・十六夜(いざよい・じゅうろくや)・既望(きぼう)・立待月(たちまちづき)・十七夜(じゅうしちや)・居待月(いまちづき)・十八夜(じゅうはちや)・臥待月(ふしまちづき)・寝待月(ねまちづき)・更待月(ふけまちづき)・二十日月(はつかづき)・二十三夜(にじゅうさんや)・明月(めいげつ)・良夜(りょうや)・無月(むげつ)・雨月(うげつ)・初月(しょげつ)・初月夜(はつづきよ)・二日月(ふつかづき)・三日月(みかづき)・新月(しんげつ)・待宵(まつよい)・小望月(こもちづき)
単に「月」といえば三秋の季語である。毎月十五夜はあるものの、単に「十五夜」と言った場合、通常は、仲秋の名月がのぼる旧暦8月15日の夜を指す。
月見は、平安時代に日本に伝わった中国の「中秋節」に由来する風習で、「観月の宴」が開かれていた。中国ではこの日、月を祭り、幸せを祈りながら月餅を切り分けて食べる。
稲刈り前の農閑期と重なることや、気候の良さもあり、近世に入って庶民にも広まった。
別名「芋名月」とも呼ばれるが、芋の収穫祭の意味も込められ、かつては里芋を高く盛って月に供えられた。現在では里芋の代わりに団子を用いる。海外でも収穫祭に因んだ名が用いられており、秋分の日に最も近い満月のことを「ハーベストムーン」と呼ぶ。
月見行事には「栗名月」「豆名月」とも呼ぶ「十三夜」もあるが、こちらは仲秋の名月から約1カ月後の陰暦9月13日の名月をいう。仲秋の名月だけを愛でることを「片見月」として忌む。
▶ 関連季語 月(秋)
▶ 関連季語 後の月(秋)
二日月
月の第二日目の夜に出る月のことを「二日月」というが、俳句の世界では、特に旧暦8月2日の月を指して仲秋の季語とする。
十五夜・名月・明月・三五の月・望月・今日の月・良夜
旧暦8月15日の月。月の出た夜は「良夜」という。望月(もちづき)は、「みてりつき(満月)」から来ているという説がある。月の模様がウサギに見えることから、中国では不老不死の薬をウサギが搗いているいると言われているが、日本では「もちづき」から「餅つき」と結び付けられた。
二十三夜
旧暦8月23日の月。この月はちょうど真夜中に出てくる。「二十三夜待」ともいう。
月白(つきしろ)・月光(げっこう)・月影(つきかげ)・月明(げつめい・つきあかり)・月下(げっか)・昼の月(ひるのつき)・月の秋(つきのあき)・月待ち(つきまち)
単に「月」といえば三秋の季語。名月ならば仲秋の季語。俳諧とつながりのある連歌・連句では、秋の月と春の花は特別視され、月には「月の定座」として月の句を詠みこまなければならない箇所がある。詠み込まれる「月」には、秋の清けさを映す。
万葉集の時代から「月」は数多く歌われていたが、特に額田王の歌と言われている
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
は有名。また、月が出ようとしている東の空の明るさを、月白と言って愛でる。
月の語源は、太陽の次に明るいことから次(つく)が変化したものだと言われている。なお、古事記で月の神は三貴神に数え上げられ、イザナギの左目から生まれた太陽神アマテラスの次に、右目からツクヨミとして生まれている。
月を語源とする「時(とき)」や「憑く(つく)」などの言葉もある。
▶ 関連季語 名月(秋)
浮世の月見過しにけり末二年 井原西鶴
ふるさとの月の港を過るのみ 高浜虚子
返り花(かえりばな)・帰咲(かえりざく)・狂咲(くるいざき)・狂花(くるいばな)・忘花(わすればな)・二度咲(にどざき)
桜に限らず、桃やツツジなど、11月頃に季節を違えて咲く花をいう。身請けされた遊女が再び勤めに出ることもまた「帰り花」という。
散った花がその年のうちにもう一度花をつける様を、帰ってきたと見なす。