俳人たちの辞世の句

今月の辞世の句(11月)

旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる  松尾芭蕉
一葉散る咄ひとはちる風の上  服部嵐雪
石の戸にいつまで草の紅葉かな  桜井梅室
今生は病む生なりき烏頭  石田波郷



毎日が辞世の句 [ 坂口昌弘 ]
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辞世の句とは何か?

辞世とは生きた時間の集積である

俳人の辞世句古事記における辞世のはじめは、倭建(ヤマトタケル)を助けようと走水の海に飛び込んだ弟橘比売(オトタチバナヒメ)の和歌「さねさし相摸の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも」である。則ち、「敵に仕掛けられた火中にあっても、問いかけて下さったあなたよ」と歌って、荒れ狂う海に身を躍らせると、波は鎮まり、七日後に姫の櫛が打ち上げられた。
以降、武士や文人たちによって、多くの辞世が残された。江戸時代になって俳諧が盛んになると、五七五の辞世句も増え、最後に詠んだ句(絶吟)を辞世の句として、その人となりを伝えることも多くなった。

辞世は、人生の到達点である。時代の変遷の中で、その場所が失せようとしていることを残念に思う。今こそ、辞世の句を見つめなおす時だ。

(写真は、横須賀の走水神社にある弟橘媛命記念碑。東郷平八郎・乃木希典らが1910年に建立。揮毫は恒久王妃昌子内親王。)

辞世句一覧

◆江戸時代以前の辞世の句 一覧

飯尾宗祇(1502年) ながむる月にたちぞうかるゝ
荒木田守武(1549年) 朝顔に今日は見ゆらんわが世かな

◆江戸時代の辞世の句 一覧

斎藤徳元(1647年) 今までは生たは事を月夜かな
野々口立圃(1669年) 月花の三句目を今しる世哉
神野忠知(1676年) 霜月やあるはなき身の影法師
山本西武(1682年) 夜の明けて花にひらくや浄土門
向井千子(1688年) もえやすく又消えやすき螢哉
小杉一笑(1688年) 心から雪うつくしや西の雲
岡村不卜(1691年) あさがほのはじめて散るも哀也
図司呂丸(1693年) 消安し都の土に春の雪
井原西鶴(1693年) 浮世の月見過しにけり末二年
松尾芭蕉(1694年) 旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる
藤谷貞兼(1701年) 月はみだぼさつや二十御来迎
萱野涓泉(1702年) 晴れゆくや日頃心の花曇り
大高子葉(1703年) 梅で呑む茶屋もあるべし死出の山
大淀三千風(1707年) 今日ぞはや見ぬ世の旅の衣がへ
宝井其角(1707年) 鶯の暁寒しきりぎりす
服部嵐雪(1707年) 一葉散る咄ひとはちる風の上
河合曾良(1710年) 春に我乞食やめてもつくしかな
北条団水(1711年) おぼろおぼろ引つぺぐ胸の月清し
岸本調和(1715年) この一句衆議判なし木がらし野
山口素堂(1716年) 初夢や通天のうきはし地主の花
志村無倫(1717年) すはさらば水より水へゆきの道
岩田涼菟(1717年) 合点じやそのあかつきの子規
秋の坊(1718年) 正月四日よろづ此の世を去るによし
立花北枝(1718年) 書て見たりけしたり果はけしの花
池西言水(1722年) 木枯の果はありけり海の音
菊后亭秋色(1725年) 見し夢のさめても色の杜若
柳川琴風(1726年) 一息にこの味はひぞ春の水
高野百里(1727年) 死んで置いて涼しき月を見るぞかし
杉山杉風(1732年) 瘠顔に団扇をかざし絶し息
桑岡貞佐(1734年) 中椀に白がゆ盈てり十三夜
上島鬼貫(1738年) 夢返せ烏の覚ます霧の月
志太野坡(1740年) 若水や冬は薬にむすびしを
加藤原松(1742年) 墓原や秋の蛍のふたつみつ
早野巴人(1742年) こしらへて有とはしらず西の奧
立羽不角(1753年) 空蝉はもとのすがたに返しけり
一世祇徳(1754年) 空さえてもと来し道を帰るなり
松木淡々(1761年) 朝霜や杖で画きし富士の山
白井鳥酔(1769年) 濃きうすき雲を待ち得てほとゝぎす
加賀千代女(1775年) 月も見て我はこの世をかしく哉
横井也有(1783年) 短夜や我にはながき夢さめぬ
与謝蕪村(1784年) しら梅に明る夜ばかりとなりにけり
越谷吾山(1788年) 花と見し雪はきのうぞもとの水
横田柳几(1788年) 老いらくの寝こころもよく春の雨
中村敲石(1788年) 契りおく松やいくとせ若緑
柄井川柳(1790年) 木枯らしや跡で芽をふけ川柳
松岡青蘿(1791年) ふなばたや履ぬぎすつる水の月
加舎白雄(1791年) たち出て芙蓉のしぼむ日に逢へり
澤村訥子(1801年) あぢきなや浮世の人に別れ霜
陶官鼠(1803年) 果は我枕なるべし夏の富士
竹内玄々一(1804年) 牽牛花やしぼめば又の朝ぼらけ
府川志風(1805年) 法の旅花野や杖の曳ちから
市川團十郎(1806年) ありがたや弥陀の浄土に冬籠り
松村篁雨(1809年) 道ばたに盆かわらけの破れけり
竹塚東子(1815年) 冬川や瀬ぶみもしらず南無阿弥陀仏
倉田葛三(1818年) 六月や十日暮らせし一手柄
八木ほう水(1821年) 比ときと華野に心はなちやる
小林一茶(1828年) 盥から盥に移るちんぷんかん
大愚良寛(1831年) うらをみせおもてを見せてちるもみじ
遠藤曰人(1836年) 土金や息はたえても月日あり
麗々亭柳橋(1840年) ほととぎす明かしかねたる此世かな
柳亭種彦(1842年) われも秋六十帖の名残かな
辻嵐外(1845年) 富士の山見ながらしたき頓死かな
田川鳳朗(1845年) からになる無常もありて蝸牛
鶴田卓池(1846年) いざさらば迎え次第に月の宿
葛飾北斎(1849年) 悲と魂でゆくきさんじや夏の原
桜井梅室(1852年) ひとしづくけふのいのちぞ菊の露
市原多代女(1865年) 終に行く道はいづくぞ花の雲
高杉晋作(1867年) おもしろきこともなき世をおもしろく
沖田総司(1868年) 動かねば闇にへだつや花と水

◆明治時代の辞世の句 一覧

河井継之助(1868年) 八十里腰抜け武士の越す峠
井上井月(1887年) 闇き夜も花の明りや西の旅
大原其戎(1889年) 寝姿の司や花をまくらもと
藤野古白(1895年) 花の頃西行もせぬ朝寝かな
正岡子規(1902年) 糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
尾崎紅葉(1903年) 死なば秋露の干ぬ間ぞ面白き

◆大正時代の辞世の句 一覧

夏目漱石(1916年) 秋立つや一巻の書の読み残し
野村朱鱗洞(1918年) いち早く枯れる草なれば実を結ぶ
大須賀乙字(1920年) 干足袋の日南に氷る寒さかな
内藤鳴雪(1926年) 只たのむ湯婆一つの寒さかな

◆昭和時代の辞世の句 一覧

芥川龍之介(1927年) 水涕や鼻の先だけ暮れ残る
芝不器男(1930年) 一片のパセリ掃かるる暖炉かな
長谷川春草(1934年) すずしさや命を聴ける指の先
竹久夢二(1934年) 死に隣る眠薬や蛙なく
松瀬青々(1937年) 月見して如来の月光三昧や
河東碧梧桐(1937年) 金爛帯かがやくをあやに解きつ巻き巻き解きつ
泉鏡花(1939年) 露草や赤のまんまもなつかしき
種田山頭火(1940年) もりもり盛りあがる雲へあゆむ
川端茅舎(1941年) 朴散華即ちしれぬ行方かな
徳田秋声(1943年) 生きのびてまた夏日の目にしみる
杉田久女(1946年) 鳥雲にわれは明日たつ筑紫かな
山本安三郎(1947年) 閼伽は是れ月澄む松の下雫
青木月斗(1949年) 臨終の庭に鶯鳴きにけり
原石鼎(1951年) 松朽ち葉かゝらぬ五百木無かりけり
日野草城(1956年) 風立ちぬ深き睡りの息づかひ
柳原極堂(1957年) 吾生はへちまのつるの行き処
高浜虚子(1959年) 春の山屍を埋めて空しかり
西東三鬼(1962年) 春を病み松の根つ子も見あきたり
飯田蛇笏(1962年) 誰彼もあらず一天自尊の秋
久保田万太郎(1963年) 囀りや己のみ知る死への道
石田波郷(1969年) 今生は病む生なりき烏頭
星野立子(1970年) 春寒し赤鉛筆は六角形
橋本夢道(1974年) 桃咲く藁家から七十年夢の秋
角川源義(1975年) 後の月雨に終るや足まくら
高野素十(1976年) わが星のいづくにあるや天の川
秋元不死男(1977年) 富士の根にわが眠る鳥わたりけり
富安風生(1979年) 九十五齢とは後生極楽春の風
水原秋桜子(1981年) 紫陽花や水辺の夕餉早きかな
大野林火(1982年) 萩明り師のふところにゐるごとし
中村草田男(1983年) 勇気こそ地の塩なれや梅真白
山本健吉(1988年) こぶし咲く昨日の今日となりしかな
中村汀女(1988年) 春暁や今はよはひをいとほしみ
山口青邨(1988年) 願ぎごとのあれもこれもと日は永し

◆平成時代の辞世の句 一覧

加藤楸邨(1993年) 梟となり天の川渡りけり
山口誓子(1994年) 一輪の花となりたる揚花火
江國滋酔郎(1997年) おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒
鈴木真砂女(2003年) 来てみれば花野の果ては海なりし
森澄雄(2010年) 行く年や妻亡き月日重ねたる
金子兜太(2018年) 陽の柔わら歩ききれない遠い家

辞世のかたち

俳人の辞世の句辞世句には、来世への思いを詠んだものと、今生を評価したものがある。死に臨んでは、眼前を見つめることなどできぬだろうから、この2つに区分されることは理解できる。あとは人生終盤の句を辞世の句とするものがあるが、これも故人の人生を顧みて、このどちらかの特徴を持った句が選ばれるようだ。
ただ、明治の巨人・正岡子規だけはどうにも当てはまらない。死を覚悟して自ら筆を取った「絶筆三句」というものがあるが、そこには、自ら主張した写生の心が貫かれている。死の瞬間まで、一瞬一瞬を生き抜いて、その一瞬一瞬を描写し続けたと見える。まさに辞世とは「生きざま」である。